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選手時代の張本勲は「監督に指示出してました」…元ロッテ選手が語る“張本・落合”の強烈エピソード「打球が飛ばないんです」「じゃあ野球辞めな」
posted2023/06/16 11:00
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph by
KYODO
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野球界の常識からすれば、水上善雄は“変人”だった。入団時の体重は60キロ台で、高校時代の本塁打は数えるほどしかない。しかし、プロでは毎打席ホームランを狙っていた。
「目立ちたがり屋ですからね。小学3年生の時、町内会のソフトボール大会で打ったら、めちゃくちゃボールが飛んだ。その面白さに取りつかれて野球を始めて、すごく楽しかった。あの感覚が忘れられなかったんです」
「俺はホームランを打つ」ドラフト3位でロッテへ
幼少時の理想は、大人になるにつれて現実に覆い隠される。桐蔭学園から1975年秋のドラフト3位でロッテオリオンズに入団すると、多数のコーチから「バットを短く持って逆方向を狙え」と指導された。
「『はい!』と元気良く返事してましたけど、心の中では『俺は絶対にホームランを打つんだ』と思ってましたね」
現在のプロ野球では各コーチの役割は明確に分けられ、自分の領域以外に口を挟むと越権行為と判断される。しかし、70年代のロッテはチームとしての指針が確立しておらず、行き当たりばったりの指導法が目立っていた。
「当時は打撃コーチだけじゃなくて、守備コーチや投手コーチがバッティングを教えに来ることもあった。コーチと名の付くあらゆる人が少しずつ何かを言うんです。『足を上げろ』という人もいれば、『すり足にしろ』という人もいる。私は、3年目までにフォームを10回以上変えています。別にコーチに良く思われたいのではなく、打てるようになったら楽しくなるから何でも試していました」
レロン・リーから教わった「プロテイン」
水上は、ホームランを打ちたい一心だった。レロン・リーから「パワーを付けたいなら飲むといい」とプロテインを渡され、同時にウエイトトレーニングを勧められると、すぐに取り入れた。