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「髪切ったら打てるようになるんですか?」ロッテあの伝説的ロン毛選手が明かす“髪が理由でトレード”の真相「尖っていた。でも後悔してない」
posted2023/06/16 11:02
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph by
JIJI PRESS
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「レギュラーを獲って、それなりに貢献してきた自負もあった。せめて事前に教えて欲しかった」
青天の霹靂だった。1989年11月13日、妻の実家でテレビを見ながら夕食を取っていた水上善雄は耳を疑った。
〈広島・高橋慶彦、白武佳久、杉本征使、ロッテ・高沢秀昭、水上善雄の3対2の交換トレードが発表されました〉
何も知らされていないまま、トレードが決まっていたのである。83年オフには巨人、86年オフには日本ハムから移籍の申し込みがあったが、球団が断ったと言われている。生え抜きの幹部候補生はなぜ、広島に放出されてしまったのか――。
落合博満「移籍後」のロッテ…一気に低迷
80年代のロッテはトレードの成否が運命を分けていた。80年、ファームで盗塁王を含めた“四冠王”ながら巨人で出番のなかった庄司智久が移籍すると、6月から1番に定着して前期優勝に貢献した。84年、巨人で燻っていた山本功児がやって来ると、落合の後を打つ5番に収まり、2位に躍進した。
一方、83年は前年に22本塁打、78打点のレオンを大洋に放出。交換で控え内野手の斉藤巧を獲得したが、球団史上初の最下位に。87年には落合博満を牛島和彦、上川誠二、平沼定晴、桑田茂との1対4の交換トレードで中日に移籍させてしまう。2年連続で打撃3部門を独占した大打者の消えたロッテは、以降6年で4度も最下位に沈んだ。
「50本のバッターがいなくなると、ピッチャーは楽な気持ちで投げられる。ヒット3本打たれたって1点しか入らないけれど、ランナー2人出て落合さんに一発食らえば3点取られる。全く心理状態が違ったと思います。チームの柱が抜けたことで、他の選手へのマークも厳しくなった」