プロ野球PRESSBACK NUMBER
「落合博満は練習嫌い」のウソ…当時チームメイトが語る“本当の落合論”「4割なんて打てるよ、と」「オチさんの目的は1つでした」
posted2023/06/16 11:01
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph by
KYODO
◆◆◆
東尾修から頭部死球を喰らった落合博満は、ピッチャーライナーで仕返しをした――。そんな伝説がある。1982年7月7日、ロッテ対西武戦(平和台球場)の5回裏、東尾の内角高めのボールがヘルメットに直撃し、落合はその場にうずくまった。試合後には〈思いたくないが、頭を意識して狙ったようなボールだった。〉(※1)と話している。
一方の東尾は〈マウンドに足が引っかかり、スライダーがすっぽ抜けた。頭にぶつけたのは悪いが、落合はボックスの白線ギリギリに立ってきた。ならばボールが半個か一個ずれても、当たる覚悟でくるべきだ。〉(※2)と強気な姿勢を崩さなかった。
この時、落合は病院に直行し、代走・井上洋一が送られている。
「落合が東尾に仕返し説」の真相
実は、東尾へのピッチャー返しは、その半月前の82年6月21日に生まれている。場所は同じ平和台球場で、8回裏の出来事だった。2つの映像を逆の順序で繋げた上で、「男はきっちり落とし前を付けるのであります」とナレーションを加えたテレビ番組があったため、同じ日に起こったように錯覚されている。
ただ、落合はそんな幻想を抱かせるほどのバットコントロールを誇っていた。当時チームメイトだった水上善雄は言う。
「東尾さんの時じゃないですけど、コントロールの悪い若いピッチャーが内角に投げたら、落合さんはわざと手を離してマウンドまでバットを飛ばしていましたね。抜けて頭に当たったら選手生命に関わる。『技術がないなら、インコースに投げるなよ』と無言の圧力を掛けたんでしょうね。そのピッチャーは本当に内角に投げてこなくなりました」