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「ミトマのドリブルにクボの技術、トミヤスの賢さを楽しんでる」JリーグMVP男ペレイラ63歳は今、何を?「ブラジルで日本の学びを…」
posted2023/05/20 11:02
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Hiroaki Sawada
1998年末、ペレイラはコンサドーレ札幌を退団。6年半を過ごした日本を後にした。
引退後は韓国に渡って指導していた時期も
――ブラジルへ帰国した1999年、母国のクラブでもプレーしたのでしょうか?
「サンパウロ州のサンベントというクラブに入団したんだけど、コンサドーレ時代に痛めて手術をした右膝の状態が思わしくない。州のカップ戦で2試合プレーしたんだけど、自分が納得できるプレーができなかったので、引退を決意した」
――現役時代から、引退後について考えていたのですか?
「フットボールが大好きなので、指導者になって一生、フットボールに関わっていたいと思っていた。サンパウロ州サッカー協会が行なう指導者講座を履修し、サンパウロ州の小クラブで4カ月間、コーチを務めた。
その後、サンパウロ州に水原三星ブルーウィングス(韓国)が設立したアカデミーで韓国人の若手選手を教え、2002年に韓国へ渡って水原三星のアカデミーのコーチを務めた」
――プロのトップチームの選手ではなく、育成年代の選手を指導する道へ進んだのはなぜですか?
「子供を指導するのが非常に楽しいし、自分に適性があると思ったからだ。また、プロの監督、コーチは頻繁にクラブを変わるし、遠征が非常に多い。私は、同じ場所で家族と一緒に落ち着いて暮らしたいという気持ちが強かった」
――2002年というと、日本と韓国でワールドカップ(W杯)が開催された年ですね。
「そう。韓国でW杯の試合も見た。韓国では大変な盛り上がりで、代表の快進撃に国中が大騒ぎしていた。韓国には2005年までいた」
体罰を見て、気分がとても悪くなった
――韓国と日本の選手育成の違いをどう感じましたか?
「少なくとも当時は、フットボールに対する考え方が大きく異なっていた。
日本は、テクニック重視。小柄でも技術が高くて創造性がある選手を育てようとする。一方、韓国はフィジカル重視。技術レベルがあまり高くなくても、体が大きくてフィジカル能力が高い選手を優先的に強化する。
また、韓国の指導者は非常に厳格だった。選手が指示通りのプレーができないと、体罰を与えることがあった。ブラジルでは絶対にないことで、見ていて気分が悪くなった。そんな光景を見るのが嫌で、契約を途中で打ち切って帰国したブラジル人コーチもいた」
――日本でもかつてはそういう指導者もいたようですが、近年は体罰やあまりにも厳格な指導の弊害が認識されるようになっています。