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「23歳カズとブラジルで対戦したんだ」懐かし名DFペレイラが語る“農場チームからプロ入り+ヴェルディ裏話”「わかるよな、ラモスだ(笑)」

posted2023/05/20 11:01

 
「23歳カズとブラジルで対戦したんだ」懐かし名DFペレイラが語る“農場チームからプロ入り+ヴェルディ裏話”「わかるよな、ラモスだ(笑)」<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

1994年JリーグMVPを獲得したペレイラ。当時の裏話と63歳になった今の生活を現地で聞いた

text by

沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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Naoya Sanuki

 30周年を迎えたJリーグの軌跡に刻まれたブラジル人選手。彼らに当時のウラ話、そして引退後の今を聞いていく。今回は黄金期のヴェルディ川崎を最終ラインで支え、1994年のMVPに輝いたペレイラに聞いた(全3回の1回目/#2#3も)

「我々選手はスタジアムの通路に並び、入場を待ちながら、隙間から開幕セレモニーの様子を窺っていた。もちろん、すべてを見ることはできなかったが、あのノリのいいJリーグのテーマ曲が大音量で鳴り響き、場内にカクテル光線が飛び交うのを感じ、チアホーンが鳴り響く音、スタンドからの凄まじいまでの歓声を聞いていた。

 こんな大規模なセレモニーを体験したのは、初めて。興奮して鳥肌が立つと同時に、『何が何でも勝つぞ』と改めて思った……」

 年相応に顔に皺が刻まれてはいるが、現役時代と全く変わらない体型を保つ63歳は、30年前の5月15日夜、東京の旧・国立競技場で起きたことを克明に記憶していた。

 1992年の夏、ヴェルディ川崎に入団し、CBとして活躍。1993年のJリーグ初年度に優勝してベストイレブンに選ばれた。翌1994年にも優勝カップを掲げ、2年連続でベストイレブン、そしてJリーグMVPに選ばれた。

 1995年までヴェルディでプレーし、1996年初めに当時JFLの東芝(この年3月、コンサドーレ札幌と改名)へ移籍。1997年のJリーグ昇格に貢献し、1998年末までプレーした。

 日本で6年半を過ごし、1999年にブラジルの小クラブで短期間プレーしたが、コンサドーレ時代に痛めた右膝の故障が完治せず、現役を引退。指導者の道に入り、現在はサンパウロ郊外イトゥー(注:2014年ワールドカップの期間中、日本代表がキャンプを張った町だ)で子供たちにフットボールを教えている。

農場にTVがないから試合を見たことも…

――サンパウロ州の小さな村の出身と聞きました。どのような少年時代を過ごしたのですか?

「サンパウロ州奥地のチンブリで生まれた。人口は2000人くらい。コーヒー栽培と酪農を営む大農場で、父親が働いていた。僕は11人兄弟の5男で、上から8番目。一家で農場の中に住んでいた。

 農場の広さは、約600ヘクタール(注:東京ドームの約128倍)。使用人が80家族ほどいて、皆、農場に住んでいた。牛、馬、豚、鶏などの動物がたくさんいて、小さい頃から馬に乗って農場内を走り回る自然児だった」

――ボールを蹴り始めたのはいつ頃から?

「歩けるようになってからすぐ。農場内にフットボールのピッチがあり、いつでもプレーできた。毎日、友達とボールを蹴り、みんなが家へ帰ってからも一人でボールを蹴っていた」

――それは、将来、プロ選手を目指していたから?

「そうじゃない。小さな町で、地元にプロクラブなんてないし、農場のどこにもテレビがなかったから、試合を見たことがなかった。実物はもちろん、映像ですら動いている選手を見たことがなかったから、プロ選手になるなんて想像もつかなかった。ボールを蹴るのが、純粋に好きだった。ゴールへ向かってドリブルして、シュートを放つ。そのボールを自分で取ってきて、同じことをする。その繰り返しさ(笑)」

高校に通い、農場を手伝い、ボールを蹴る日々

――初めてチームでプレーしたのは?

【次ページ】 大きな町に行くのが怖かったんだ

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