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「その瞬間、ぼくは切れてしまった」鹿島アントラーズの主将がサポーターの“空き缶”を投げ返した日…“ジーコの精神”はいかに受け継がれたか?

posted2023/05/16 11:01

 
「その瞬間、ぼくは切れてしまった」鹿島アントラーズの主将がサポーターの“空き缶”を投げ返した日…“ジーコの精神”はいかに受け継がれたか?<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

1993年の本田泰人。鹿島アントラーズのキャプテンとして、ジーコの精神を継承した

text by

熊崎敬

熊崎敬Takashi Kumazaki

PROFILE

photograph by

Kazuaki Nishiyama

栄枯盛衰のJリーグで四半世紀に渡り勝ち続ける、鹿島アントラーズ。日本一の常勝軍団には、神様が植え付けた勝利への執念が息づいている。二代目主将である本田泰人が語った、ジーコの素顔と継承される魂ーー。Jリーグ30周年を記念し、雑誌『Number』に掲載された記事を特別に無料公開します。《初出『Sports Graphic Number』973号(2019年2月28日発売)/肩書などはすべて当時》

 鹿島アントラーズはJクラブの中でも、とりわけ主将という地位を重んじる。

 Jリーグが開幕した1993年から四半世紀、主将を務めたのはわずか5人しかいない。初代石井正忠に始まり、二代目本田泰人、三代目柳沢敦、四代目小笠原満男、そして今季、内田篤人が五代目を襲名した。

 鹿島は伝統的に主将、つまりチームキャプテンがゲームキャプテンを兼ねる。草創期は石井が主将、ゲームキャプテンをジーコが務めたが、'94年のジーコ引退とともに本田がふたつを兼任するようになった。

 ジーコの兄のエドゥー監督から二代目を託されたとき、本田は「俺かよ」と戸惑った。

「当時ぼくは25歳と若く、そもそもジーコの後釜が務まるわけがない。エドゥーに理由をたずねたら、『黙ってやれ』と怒られました。ぼくなら嫌われ役に適任だと思ったのかもしれません」

鹿島だけがなぜ、勝ち続けられるのか

 この「ジーコから本田」という流れが、常勝軍団を生む岐路ではなかったか。

 鹿島は20冠を誇る日本一のタイトルホルダーであり、群雄割拠のJリーグで彼らほど勝ったクラブはない。ヴェルディ川崎、ジュビロ磐田、浦和レッズ、ガンバ大阪などが頂点に立ったが、長続きしなかった。

 鹿島だけがなぜ、勝ち続けられるのか。

 それは彼らがジーコの精神を大切に伝えてきたからだ。歴代主将を中心に親方が弟子を厳しく鍛えるようにして、ジーコの勝利への執着心を伝えてきた。ストイコビッチやドゥンガも勝利にこだわったが、彼らがいなくなるとその精神は消えていった。

 ジーコの精神はいかにして、鹿島に根づいたのか。本田の言葉から振り返る。

【次ページ】 本田が見た、ジーコのキャラクター

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