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「その瞬間、ぼくは切れてしまった」鹿島アントラーズの主将がサポーターの“空き缶”を投げ返した日…“ジーコの精神”はいかに受け継がれたか?
posted2023/05/16 11:01
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
photograph by
Kazuaki Nishiyama
鹿島アントラーズはJクラブの中でも、とりわけ主将という地位を重んじる。
Jリーグが開幕した1993年から四半世紀、主将を務めたのはわずか5人しかいない。初代石井正忠に始まり、二代目本田泰人、三代目柳沢敦、四代目小笠原満男、そして今季、内田篤人が五代目を襲名した。
鹿島は伝統的に主将、つまりチームキャプテンがゲームキャプテンを兼ねる。草創期は石井が主将、ゲームキャプテンをジーコが務めたが、'94年のジーコ引退とともに本田がふたつを兼任するようになった。
ジーコの兄のエドゥー監督から二代目を託されたとき、本田は「俺かよ」と戸惑った。
「当時ぼくは25歳と若く、そもそもジーコの後釜が務まるわけがない。エドゥーに理由をたずねたら、『黙ってやれ』と怒られました。ぼくなら嫌われ役に適任だと思ったのかもしれません」
鹿島だけがなぜ、勝ち続けられるのか
この「ジーコから本田」という流れが、常勝軍団を生む岐路ではなかったか。
鹿島は20冠を誇る日本一のタイトルホルダーであり、群雄割拠のJリーグで彼らほど勝ったクラブはない。ヴェルディ川崎、ジュビロ磐田、浦和レッズ、ガンバ大阪などが頂点に立ったが、長続きしなかった。
鹿島だけがなぜ、勝ち続けられるのか。
それは彼らがジーコの精神を大切に伝えてきたからだ。歴代主将を中心に親方が弟子を厳しく鍛えるようにして、ジーコの勝利への執着心を伝えてきた。ストイコビッチやドゥンガも勝利にこだわったが、彼らがいなくなるとその精神は消えていった。
ジーコの精神はいかにして、鹿島に根づいたのか。本田の言葉から振り返る。