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「辰吉は1億7000万円」なのに「薬師寺は2000万円」報道も…「絶対に赤字でしょ?」29年前“伝説の薬師寺vs辰吉”、試合前のモメごとがスゴかった
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph byAFLO
posted2023/04/06 11:02
1994年12月4日、伝説の「薬師寺保栄対辰吉丈一郎」。中部で視聴率約52%、関東でも約40%を記録した歴史的な一戦だった
王者の薬師寺保栄は騒がしい東京を離れ、9月27日から10月3日まで石川県小松市で走り込みを中心とした第1次キャンプを張り、フィジカルを作り上げると、10月13日~11月13日までは、チーフトレーナーのマック・クリハラの地元であるロサンゼルスに渡り、合計200Rのスパーリングを行った。帰国後は松田ジムで、マック・クリハラのメニューに従って試合までの3週間をすごした。
一方の辰吉も9月中旬からジムワークを積み重ね、10月14日~22日まで南紀白浜で恒例のキャンプを張り、徹底的に走り込みを行った。大阪に戻ってからはフィリピンから2人のパートナーを迎え、合計60Rのスパーリングを行っている。また、しばらく辰吉陣営から離れていた、大久保淳一トレーナーがチーフトレーナーに復帰するなど、総力戦の様相を呈してきた。
また、この頃から専門誌やスポーツ紙面では、著名人のボクシングファンや識者を対象に「勝敗予想」が載るようになるが、大半が「辰吉有利」だった。その主なものは次の通り。
「辰吉のKO勝ち」(元『ボクシングマガジン』編集長の山本茂)
「辰吉の10RKO勝ち」(俳優の香川照之)
「辰吉の判定勝ち」(スポーツジャーナリストの二宮清純)
しかし、『日刊スポーツ』(1994年12月1日付)が歴代世界王者20名を対象にアンケートを取ると、必ずしも辰吉一辺倒とならないのが興味深い。
「辰吉が有利」(花形進、具志堅用高、大橋秀行、畑中清詞、オルズベック・ナザロフ)
「薬師寺が有利」(沼田義明、輪島功一、ガッツ石松、平仲明信)
それ以外は全員「五分五分」という回答である。つまり「わからない」ということだ。
別にフォローするわけではないが、おそらく、識者の何割かは「辰吉有利」というより「辰吉に勝ってほしい」というのが本音ではなかったか。「敗れたら引退」という特例の縛りがあったため「辰吉に引退してほしくない」という願いは大きかったに相違なく、それとは別に、薬師寺が2度の防衛戦を経て、確実に強くなっていたことは、誰もが気付いていたはずである。
決戦の日は刻一刻と近付いていた。
<続く>