ボクシングPRESSBACK NUMBER
「辰吉は1億7000万円」なのに「薬師寺は2000万円」報道も…「絶対に赤字でしょ?」29年前“伝説の薬師寺vs辰吉”、試合前のモメごとがスゴかった
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph byAFLO
posted2023/04/06 11:02
1994年12月4日、伝説の「薬師寺保栄対辰吉丈一郎」。中部で視聴率約52%、関東でも約40%を記録した歴史的な一戦だった
試合が正式に決まって3日後の8月12日、薬師寺の所属する松田ジム会長の松田鉱二と、辰吉の所属する大阪帝拳ジムも配下に置く国内最大のボクシングプロモーション、帝拳プロモーションの本田明彦会長は会談を持った。ここでは結論が出ず、18日に今度は名古屋で会談を持ったが、結局条件は折り合わなかった。いずれも「東京か大阪開催で放映は日本テレビ系」という帝拳側の条件をベースに話し合われたためで、松田鉱二は合意しなかった。話し合いは決裂したのである。
松田の強硬な姿勢を支えたのは、薬師寺が件のトークライブでいみじくも口にしたように、「ウチこそが王者」「迎え撃つのが筋」という“正論”と“プライド”だったかもしれず、松田鉱二は「興行収支よりも意地が優先することがある」(1994年8月19日付/日刊スポーツ)と述懐している。その背景には、放映局である中部日本放送(CBC)の意向もあった。CBC報道局次長兼スポーツ部長(当時)の天野浄は「ここまで薬師寺を放映してきて、簡単に日本テレビに渡すわけにはいかない」(1994年8月1日付/日刊スポーツ)とコメントしている。
3つの折衷案
決裂は決定的と思われたが、ここで動いたのが大阪帝拳ジム会長(当時)の吉井清だった。名古屋まで出向き、松田ジム会長の松田鉱二に3つの折衷案を示している。
(1)大阪開催でCBC(TBS系)の放映
(2)名古屋開催で日本テレビ系の放映
(3)東京開催で両局の同時放映
(1)は大阪帝拳ジムが興行権を握る代わりに、放映権は松田側のCBCに渡すことを指し、会場は大阪城ホールが想定された。(2)はその逆で松田ジムが興行権を握って、放映権は大阪帝拳側の読売テレビに渡す。会場は名古屋レインボーホール。異例なのは(3)である。東京の帝拳ジムが興行権を握って、両局が同時に放映する。会場は(東京ではないが)横浜アリーナの名前があがっている。
吉井が提示した3つの折衷案は、改めて眺めると妙案であり、頷かされるものではあるが、それすらも松田は首肯しなかった。決裂後の両者のコメントがある。
「遺恨が残ってもやるというのなら仕方ない。どうして、そこまで名古屋とテレビにこだわるのか分からない」(吉井清/1994年8月25日付/日刊スポーツ)
「CBCと(松田ジムは)年間契約をしていて、テレビを外すわけにはいかない」(松田鉱二/同)
ともかく、話し合いが決裂したことで「入札」に委ねられたのである。
あの“大物プロモーター”ドン・キングも参戦
建築物などをめぐって、大手ゼネコンの間でよく見られる競争入札制度は、ボクシングの世界においても興行権の取得を争って行われる。「両者のファイトマネーの合計=興行権を買う金額」を文書に明記して、最も高額な条件を示した者が興行権を得るオークションシステムであるのは言うまでもない。