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甲子園準優勝ピッチャーの「その後」 早稲田大で絶望の日々→“フリーター生活”を経て…元仙台育英・芳賀崇が“高校教師”になるまで
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2023/04/05 11:01
2001年センバツの準優勝投手、芳賀崇がいま明かす「激動の高校卒業後」
世間的に「フリーター」と安易に位置付けられる彼らにも人生があり、夢がある。ミュージシャン、俳優、ダンサー。居酒屋勤務という人間交差点に立つことで、芳賀は「野球だけではなく、教師として人生の道を示してあげたい」と思うようになっていった。
31歳で「教師」に
27歳で宮城に帰った芳賀は、塾講師をふたつ掛け持ちして生計を立てながら仙台大で教職免許を取得し、そして教員採用試験に合格した。新米教師は31歳になっていた。
目標を実現させ、気づいたことがある。それは人が何よりの教材であることだ。
教員採用試験合格前に赴任した特別支援学校で、生徒への言葉の掛け方から、彼らの手助けだけでなく、自立のため黙って見守ることも学んだ。「指導」というより、まさに「支援」。これが教師、指導者として芳賀の原点となった。
「支援学校で講師をしたことは、すごく根強くて。世界観が変わり、考え方が変わり。私ばかりが答えを教えるというよりは、子供たちと『どう目標に挑んでいくか?』っていう過程を楽しめるようになりました」
仙台東・野球部監督の今
村田高校を経て21年春に仙台東に赴任してからは、その色を明確に打ち出している。
野球部の監督が、選手たちに問いかける。
「東北にある『東高校』。山形東、福島東……進学校だね。花巻東、鶴岡東……野球の強豪だね。じゃあ、仙台東は? 仙台市は知名度高いよ。自分たちも有名になろうよ」
この士気の高まりを、芳賀は造語とした。
仙東開始――。
わかりやすい意味合いとして「戦闘開始」があるが、大事なのは選手個人の考え方だ。セカンドの大洞晶平は芳賀とのやり取りを引用しながら、チームのスタンスを話す。
「自分たちは主体性をもって練習していますけど、崇先生からは答えではなくヒントをもらいながらチーム力を高めています」
キャプテンの菊地颯も同調する。
「崇先生のお話は野球にも落とし込めるんで。自分たちで噛み砕いたことを試合で実践して、『何がよくて、ダメだったのか?』とか話をして。1個ずつ突き詰めていくことで『強くなっているな』って実感できています」
それはまさしく、芳賀が仙台育英時代に監督の佐々木から受けた指導に似ている。