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甲子園準優勝ピッチャーの「その後」 早稲田大で絶望の日々→“フリーター生活”を経て…元仙台育英・芳賀崇が“高校教師”になるまで
posted2023/04/05 11:01
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Genki Taguchi
「あの須江が…」東北勢初の甲子園V
感慨に耽ることも、余韻に浸ることもなかった。正確には、できなかった。
2022年8月22日。
この日は、仙台東高校の夏休み明け初日であり、クラスを受け持つ芳賀崇は忙殺されていた。母校の仙台育英が夏の甲子園決勝を戦う14時1分となってもそれは変わらず、かつてエースだった自分を取材に来たメディアに対応する時間もままならないほどだった。
「あの日はもう、バタバタで。『優勝の瞬間を取材させてほしい』ということで、教室でテレビをセッティングしようとしたんですが、これもまたうまい具合に接続できなかったり。結局、私がテレビで試合を観られたのは9回2アウト。ラスト3球くらいでした。優勝の瞬間を見られたことはよかったですけどね」
少しだけ、時間と心に余裕が生まれる。
液晶画面の向こう側では、仙台育英時代の同期である監督の須江航が涙を流していた。
青春って、すごく密なので……。
コロナ禍で翻弄されながらも奮闘した全国の高校生を慮り、声を震わす盟友の姿に目を細めながら「そういや、うちの文化祭のテーマは『気持ちは密です』だったよな」と、思い出す。同じ高校野球の指導者として、東北勢初の偉業を先に越されたことへの嫉妬は微塵もない。むしろ、それが須江で嬉しいくらいだ。そして芳賀は、こうも思う。
あの須江が、と。
エースと学生コーチ…ともに高校野球監督に
「『大学でもマネージャーやったんだ』ってくらいで。母校に帰ってきて指導者をやるどころか、学校関係の仕事に就くようなタイプじゃないと思っていましたから。どっちかって言うと、グラウンドにいる時はしっかりやる、それ以外は目一杯、遊ぶみたいな、オン・オフがしっかりしてるタイプだったんで」
精鋭たちが集まるなか、高校入学直後の1年生トレーニングではランニングで常に先頭を走っている姿などに「根性があるな」と感嘆させられた。「打ってるところ、ノックを受けているところを見たことがない」という芳賀は、須江の存在感を今も認めている。