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「鉄道では“絶対に”行けない町」“伝説の横綱”千代の富士が生まれた北海道福島町には何がある?「1000人以上が亡くなる悲劇が町を変えた」
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byGetty Images
posted2023/02/16 11:02
1955年に生まれた“伝説の横綱”千代の富士。昨夏に七回忌を迎えた。その故郷、北海道福島町には何があるのか?
そうしていまに至るまで、イカは福島の特産のひとつになった。スルメの生産量は日本トップクラスなのだという。福島の港に停泊していた漁船たちは、津軽海峡でイカを釣る、イカ釣り船なのである。町のところどころにあるスナックのような店は、漁師たちの憩いの場なのだろう。
かの千代の富士も、子どもの頃から漁船に乗って漁を手伝い、それがバランスの取れた強靱な足腰を作ったのだという。まさに福島という小さな港町だったからこそ生まれた大横綱といっていいのかもしれない。
かつて鉄道が走っていた
ところで、福島の町を歩いていると、町の真ん中を貫く国道の他に、もうひとつ町の中心らしき道が通っていることがわかる。少し寂しい雰囲気なのだが、閉じられたパチンコ店や飲食店、商店などが国道に並行する細い道に連なっている。この道をずっと北へ歩いてゆくと、正面に見えてきたのは福島町役場。役場を頂点にするこの道が福島の中心地なのだろうか。
実は、福島町役場が建っている場所にはかつて松前線の渡島福島駅があった。つまりは、鉄道駅、町の玄関口だ。その目の前からまっすぐ続く道沿いに商店街が形成されるのは自然のなりゆき。それが鉄道が寂れてクルマの時代になって、町の中心軸が駅前の道から国道に移ったというわけだ。
松前線は1988年に廃止されてしまい、いまではその痕跡を見ることも難しい。そうして福島の町には鉄道はないということになるのだが、それはある意味正しくてある意味間違っている。福島町には、駅はないけれど鉄道が通っている。それも天下の新幹線、北海道新幹線だ。
「1000人以上が亡くなる悲劇があった」
どういうことか。その答えは、国道沿いを歩けばすぐにわかる。横綱記念館から北に歩いて途中で橋を渡って約10分。横綱記念館よりふた回りくらい大きな施設が見えてくる。青函トンネル記念館。福島町は、横綱の町、漁業の町であると同時に、青函トンネルの町でもあるのだ。