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「鉄道では“絶対に”行けない町」“伝説の横綱”千代の富士が生まれた北海道福島町には何がある?「1000人以上が亡くなる悲劇が町を変えた」
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byGetty Images
posted2023/02/16 11:02
1955年に生まれた“伝説の横綱”千代の富士。昨夏に七回忌を迎えた。その故郷、北海道福島町には何があるのか?
津軽海峡を貫く青函トンネルは、松前線が廃止されたのと同じ年、1988年に開通した。それからしばらくは在来線の列車が走り、2016年からは北海道新幹線の一部になっている。そんな大動脈が、福島町の地下をズバッと駆け抜ける。そして青函トンネル建設中には、福島は北海道側の建設基地であった。
構想は大正時代からあった青函トンネルが現実的なものになったのは戦後になってから。1954年に青函連絡船の洞爺丸が沈没して1000人以上が亡くなる悲劇があった。それを契機にトンネル建設の議論が進み、1963年に福島町内で起工式。以後、福島は青函トンネル建設の基地として賑わいをみせてゆく。
トンネル建設のための立坑が設けられた福島町吉岡周辺には、作業員の宿舎が建てられ、さらに作業員の家族のために小学校や中学校も増改築。新たに幼稚園が設置され、道路も整備されるなど町に大きな変化をもたらした。トンネル建設の最盛期には、実に2000人もの作業員がいたという。漁師からトンネル建設の作業員に転職した人も少なからずおり、2000人の作業員のうち約800人が福島出身。イカ釣り船を調査船として提供した漁師もいたほどだ。
ちなみに、当初の計画では青函トンネルの北海道側の出口は福島町内に設けられる予定だった。福島町もそれを受けてニュータウンの整備も計画していたようだ。結果的にトンネルを新幹線仕様にすることが決まると出口は福島町より北の知内町内に変更されてニュータウンも夢と消えたが、いかにトンネル工事で町が活況を呈していたかがうかがえるエピソードである。
「53連勝」の1988年、青函トンネルも完成した
こうしてイカ釣りとトンネル工事というふたつの中核的な産業を得た福島にとって、工事が佳境だった70年代から80年代、すなわち千代の富士が横綱へと駆け上がっていた時代が町の黄金時代だったといっていい。そして千代の富士が横綱として53連勝、4場所連続優勝を飾った1988年に青函トンネルも完成したのであった。
トンネル工事が終わると福島町から作業員たちは去り、人口は右肩下がり。人口は最盛期と比べると3分の1以下になっている。さらに最近ではイカ漁も不漁に悩まされることが多くなった。若い人は町を出て、高齢化も進んでいる。町の人に聞けば、漁の仕事を子どもに継がせて大変な思いをさせたくない、という人も少なくないという。これは別に福島だけのことではなくて、全国の港町ではどこにでもある課題だろう。
いま、福島で相撲が盛んなのかどうかはわからない。ただ、町の真ん中にいかにも誇らしげに横綱記念館があるのだから、きっと子どもたちもいくらかは相撲に興味を持っているだろう。もしかするとまた、この町から大横綱が現れるかもしれない。そしてそれが、町の復活ののろしになるか。北海道の端っこの小さな町にも、歴史とドラマはあるものなのだ。
(写真=鼠入昌史)
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