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「鉄道では“絶対に”行けない町」“伝説の横綱”千代の富士が生まれた北海道福島町には何がある?「1000人以上が亡くなる悲劇が町を変えた」
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byGetty Images
posted2023/02/16 11:02
1955年に生まれた“伝説の横綱”千代の富士。昨夏に七回忌を迎えた。その故郷、北海道福島町には何があるのか?
降りたバス停はその名も「福島」。バス停の向かいには「横綱の里 ふくしま」と名乗る道の駅があり、さらにそのお隣には「横綱千代の山・千代の富士記念館」(ちなみにそのはす向かいにはおなじみセイコーマートがあります)。立派な建物の記念館の道沿いにも軍配を大きくあしらった「横綱の里 ふくしま」の大看板。少し離れた場所にある砂浜も、「海峡横綱ビーチ」と名付けられている。小さな港町から2人も大横綱が出たのだから当たり前といえば当たり前なのだが、とにかくこの町は横綱の町なのである。
といっても、それだけで町が成り立っているわけではない。国道をさらに南に進んでゆくと、福島漁港という小さな漁港が見えてくる。護岸工事もしている様子で、規模は大きくはないけれど立派な港だ。並んでいるのは小さな漁船。千代の富士も漁師の家に生まれたというように、福島町でいちばんの産業は漁業なのだ。
福島の町で漁業が行われるようになったのは、なんと室町~江戸時代にまでさかのぼるという。町に伝わっているところでは、奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされた際に、その残党が津軽海峡を渡って落ち延びて、この地で暮らしはじめたのが町の興りだとか。真実か否かはともかく、本州にも近い福島にはかなり古くから和人が暮らしていたことは事実なのだろう。江戸時代には松前藩領となり、その頃からニシン漁が盛んになった。
江戸時代、蝦夷地の名産となったニシンは北前船で大坂や京に運ばれ、京都の名物料理・にしんそばなどを生み出した。それは福島にとってみれば、流通ルートの確立にほかならない。ニシン漁は福島の中心的な産業として発展し、わずかひと月漁に出るだけで1年の暮らしが賄えるほどの収入を得られたという。
スルメの生産量は日本トップクラス
しかし、多くの富をもたらした“ドル箱”のニシンも、時代とともに漁獲高が減少していった。ニシンの漁場は少しずつ北に移ってゆき、福島の漁師たちも北へ出稼ぎに出た。しかしそれでも生計が成り立たないようになり、明治時代以降は福島の漁の中心はニシンからイカに変わる。