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ぶら野球BACK NUMBER
「絶望も挫折もありました」鬼のマサカリ・村田兆治が泣いた“引退スピーチ”…40歳で10勝「まだやれる」の声もなぜ引退を決断したか?
posted2022/11/24 11:02
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
JIJI PRESS
まだまだ現役バリバリと思いきや、村田はコーチ兼任で迎えた翌90年に「最後の1年」を迎えることになる。
引退の予感…完封後に“意味深なコメント”
とは言っても、“ブルーサンダー打線”と恐れられたオリックスとの開幕戦に40歳4カ月で先発すると、9回2安打1失点の完投勝利。40代開幕投手の勝利は49年の若林忠志以来41年ぶりの快挙で、プロ23年目のシーズンを最高の形でスタートさせる。だが、この年のロッテは4月こそ2位スタートを切るも、5月以降は失速。投手事情も厳しく、5月20日の近鉄戦では同点で迎えた9回一死三塁の場面で背番号29がリリーフ登板する。恩師のカネヤンが仕掛けたまさかの40歳の緊急抑えプランに、村田は「やりたいことだけじゃなく、仕事としてやらねばならないこともある」と了承した。
再び先発に戻った7月3日の日本ハム戦、5対3で自チームがリードする8回裏一死の場面で、自ら三塁側ベンチにゆっくり手を上げ交代を促す。試合後には「自分で責任を持ってピッチングしている。それが結果に結びつかなければ引退ぐらいの気持ちでやってるんだ」と村田は静かに語った。その約2週間後の7月19日ダイエー戦では、完封ペースも6回表に突然乱れて同点にされると、ここでも一塁側の首脳陣に向かって小さくバツ印を作り降板。あれだけ投げることにこだわった男が自らマウンドを降りて、ベンチから呆然とグラウンドを見つめた。鬼のマサカリ兆治らしからぬ行動である。それでも最速149キロを記録した8月24日の西武戦では、史上27人目となる通算600試合登板を4安打10奪三振の完封勝利で飾るが、直後に「最後の一花を咲かせられた」と意味深なコメントを残す。