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堀米雄斗を金メダルに導いた“3人のオヤジ”「雄斗は一番飲み込みが悪かった」「若い奴らには物やお金じゃなくチャンスを与えるのが一番」
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![雨宮圭吾](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/9/c/-/img_9c0c3cc559ce2f9e434c1160e5b3707c9124.jpg)
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byTomonori Taneda
posted2023/01/07 11:00
![堀米雄斗を金メダルに導いた“3人のオヤジ”「雄斗は一番飲み込みが悪かった」「若い奴らには物やお金じゃなくチャンスを与えるのが一番」<Number Web> photograph by Tomonori Taneda](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/f/d/700/img_fd0c2ab12104f15714294ccb191a6ee0100812.jpg)
スケートボード五輪初代王者の堀米雄斗。1月7日に24歳の誕生日を迎えた
才能を認めると自然と指導に熱が入った。内容は徹底的に基礎の反復。バーチカルでのターンを繰り返し、さまざまな動きを身に付けさせた。一方で葛藤もあった。パークには理屈もわからず我が子に怒鳴るだけの、今で言う“毒親”がすでにいた。自分が雄斗に教えているのは経験と知識に基づいた理に適った内容だ。しかし、褒め下手でどうしても口うるさくなってしまう。
「スケートボードってそういうものじゃないと分かっていながら、最初のうちは抑えきれないところがあったんです」
そんな時に助けになってくれたのはローカルの仲間たちだった。
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「雄斗、すげえな!」「このトリックができたらアイス買ってやるよ」
そうやって盛り立ててくれる大人たちの存在によって息子はスケートボードを楽しめているように見えた。雄斗は大人たちの輪に入っても物おじせず、そしてよく可愛がられた。板を抱えてひとり電車で1時間近くかけて通っていたから、そんな姿も愛らしかったのかもしれない。タクシー運転手の仕事が忙しくて迎えに行けないときには、仲間がよくバイクで送り届けてくれた。
「めんどくさい親父と楽しくさせてくれるローカルの人たち。そのバランスがよかったんじゃないですかね」
「パパ、あっち行って!」父が感じた引き際
雄斗が初めて海外に遠征したのは小5の時、韓国で行われたバーチカルの大会だった。この時は同種目の日本の第一人者、小川元が面倒を見てくれた。現地で有名な海外選手に褒められ、子どもなりに世界で戦えるという手応えも得たようだった。