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箱根駅伝3年時に区間賞&優勝ゴール、東洋大主将・齋藤貴志はなぜ翌年“エントリー漏れ”となった?「我慢できなくなって、体育館で泣きました」 

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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photograph byAsami Enomoto(L),Nanae Suzuki(R)

posted2023/01/09 11:00

箱根駅伝3年時に区間賞&優勝ゴール、東洋大主将・齋藤貴志はなぜ翌年“エントリー漏れ”となった?「我慢できなくなって、体育館で泣きました」<Number Web> photograph by Asami Enomoto(L),Nanae Suzuki(R)

2012年、3年時に優勝のゴールテープを切った東洋大の齋藤貴志。だが、4年生キャプテンとして迎えた翌年の箱根は走れず…。本人に当時の話を聞いた

じっとしていたら心がおかしくなりそうだった

 頭にあったのは、前年度の成功体験だ。3年生の時も故障がちだったが、箱根一本に絞ってじっくり腰を据えて取り組んだ結果、11月後半辺りからどんどん調子が上がっていった。まさに大会直前にピークを迎え、齋藤は当日交代で箱根を走っていた。

 だから、この時も普段の何倍も練習すれば調子は戻ると信じていた。

「11月末に学連の記録会があって、それに間に合わせたかったんです。なのでウェイトを絞るために4部練、5部練みたいなこともしましたね。普通は朝練の後は午後の練習に備えるんですけど、その間に走ったり、夜も夕食を食べた後、また走りに行ったりして。それが正解だったかどうかは今でもわからないですけど、当時はじっとしていたら心がおかしくなりそうだったので」

メンバー選考を兼ねた16㎞の単独走で…

 最後の箱根に出場を果たすべく、急ピッチで体を仕上げた。その甲斐もあって、齋藤は学連記録会で10000mの自己ベストを更新(29分14秒57)する。まだ厚底シューズが登場する前で、これは十分に主力として戦えるタイムだった。ようやく光が見えた。当時、そう安堵したという。

「この調子でいけばメンバーに入れると思ったんですけど、そこが落とし穴というか。やっぱり2、3週間で詰め込んで練習をやったので、その疲労が一気に来ちゃったんです。翌週にメンバー選考を兼ねた16㎞の単独走があったんですけど、そこが全然ダメでした」

 箱根駅伝のメンバー候補が次々に時間差でスタートを切る。齋藤が異変に気づいたのは5㎞のラップタイムを計った時だった。自分の感覚よりもタイムが遅い。かといって前半で無理をすれば後半で余計にタイムが落ちるのもわかっていた。だから、なんとかその落ち込みを最少限度にとどめるしかない。走っている最中はその一心だったという。

「でも結局、前の年に計ったタイムより1分以上遅いタイムでゴールして、チームで17番目か18番目だったと思います。箱根のエントリーメンバーは16名なので、やらかしたと思いました」

 その練習が選考の大きなポイントになることは誰もが知っていた。チャンスは全員に平等だった。そこで、齋藤は痛恨と言える走りをしてしまったのだ。

監督が読み上げたメンバーに齋藤の名はなかった

 箱根駅伝のエントリーメンバーは、単独走の練習をしてから数日後に発表された。選手全員が体育館に集められ、酒井監督が4年生から順に名前を読み上げていく。

 市川孝徳(4年)、土屋天地(4年)、冨岡司(4年)、安田佳祐(4年)、大津顕杜(3年)……。齋藤の名前は最後まで呼ばれなかった。

「3年生に名前が移った時点でああって感じでしたね。じつはマネージャーだけは前日の夜に知っていて、主将をメンバーに入れるべきという話もあったんだって後日聞かされました。でも、特例を作ると翌年以降に不満が出る可能性があったので、それはなくなったと。自分はそこで……納得をしたと思います」

【次ページ】 監督からは『やれることをやれ』と

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