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「やっぱり巨人で脱ぐべき…」電撃復帰の長野久義37歳に熱望したい「困った時のチョーさん」坂本勇人のサポート役&ドラ1浅野翔吾の先生役
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byJIJI PRESS
posted2022/11/08 11:03
2009年10月29日のドラフト会議当日。巨人から1位指名された長野久義(ホンダ)が原辰徳監督(左)と握手
20発クインテットを形成したウォーカーとポランコの両翼を守る両助っ人は守備に不安があるため、終盤にはベンチに下がるケースも多かった。途中出場するのは重信慎之介(打率.216、0本塁打)、若林晃弘(打率.200、0本塁打)、松原聖弥(打率.113、0本塁打)といった伸び悩む中堅選手たちで、攻撃力が大きく低下。さらに代打陣も40歳の大ベテラン中島宏之頼みという層の薄さを露呈するなど、昨季限りで引退した亀井善行の穴はやはり大きかった。
恐らく、長野にはこの晩年の亀井が担っていた“外野のバックアッパー”兼“勝負どころの代打”という役割が期待されることになるだろう。自身の私生活やバックボーンを語ることはほとんどない長野だが、珍しく10年前の12年に東京ドームで配布されたプレーヤーズ・プログラムで、「遠征の必需品はこだわりのシャンプーとコンディショナー」とプライベートでの風呂好きをカミングアウト。重要な情報として「飲んだ時はカラオケでドリフターズの『早口言葉』をみんなでマイクを回して歌う」なんて素顔もチラ見せ。さらに「子どもの頃に憧れていた選手」について、貴重なコメントが掲載されている。
「大道(典嘉)さんです。僕は九州出身なので福岡ドームに試合を観戦しに行ったときにはダイエー時代の大道さんをよく応援していました。とにかく渋いし、勝負強い!! 」
のちに第2次原政権の巨人でも、代打の切り札として活躍した大道に憧れていたという長野少年。無類の勝負強さを誇る「代打・大道」は幾度となく原巨人を救い、08年6月21日ソフトバンク戦では、9回二死走者なしの場面で完封勝利目前の杉内俊哉から、東京ドームの左中間席へ起死回生の代打同点アーチをかっ飛ばした。なお、その試合で延長12回に執念のサヨナラ打を放ったのは木村拓也である。当時、大道は38歳、木村が36歳。まさに今の長野と同年代である。あの頃の巨人は、彼らのような移籍組の仕事人たちがベンチに控えるプロの集団だった。今度はベテランになった長野が、大道やキムタクのように、勝負どころのジョーカー役としてチームを支える番だ。
“サカチョー・リターン”「まだ始まっちゃいねえよ」
主力陣への後方支援といえば、“サカチョーコンビ”を組み12年に最多安打のタイトルを分け合った盟友・坂本勇人のサポート役も求められるだろう。