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ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
アントニオ猪木vsビッグバン・ベイダーは“大暴動”に発展…新日本プロレスが迎えた“巨大な転換期”と「猪木の二面性」の正体
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byEssei Hara
posted2022/10/25 17:16
12月27日、TPGからの刺客として登場したビッグバン・ベイダーとアントニオ猪木が対戦
新日本プロレスが迎えた、巨大な転換期の結末
この一連の流れを藤波はあらためてこう振り返る。
「猪木さんはシビアな格闘技的な面と、それとは真逆である茶番と思われかねない仕掛けを好む面の二面性を持ってるんです。それがすべて逆目に出てしまったような気がするね」
そう、古くはタイガー・ジェット・シンの新宿伊勢丹前襲撃にはじまり、海賊男もTPGも、すべては猪木自身による仕掛けだったのだ。しかし、猪木はすでに観客のニーズを捉えられなくなっていた。それを露呈してしまったのが、両国での「(お客さん)どーですか!」発言に対する、観客の反発だった。
この両国大会の不祥事で、ファンとテレビ局の信用を完全に失った新日本は、翌年4月からテレビ中継が土曜日の夕方4時に移行。ついにゴールテンタイムから転落し、お茶の間を沸かせた「テレビプロレス」は、事実上の終焉を迎えた。
これと入れ替わるように、新日を無期限停止処分から解雇処分となった前田日明が再旗揚げしたUWFは大ブームを巻き起こす。この前田人気、UWF人気は、猪木と新日本へのアンチテーゼから生まれたことは明白だ。かつて猪木の“過激なプロレス”に心酔したファンが、新日本のドタバタ茶番劇に嫌気が差し、理想の格闘プロレスを追求する前田に救いを求めたのである。それは暴動が起き、リングに物が投げ入れられた両国で、そこにはいない「前田」への大コールが起こったことが、何よりも証明している。
新日本はゴールデンタイムを外れ完全に冬の時代を迎えたが、UWFはテレビ放送を持っていないにもかかわらずライブにファンが殺到し、社会現象と呼ばれるまでの人気を集め、「テレビなしでは存在しえない」というプロレス界の常識を覆した。
時代は猪木から前田へ移り、それと同時に大衆がテレビで観るプロレスは終わりを告げ、特定層が熱狂的に支持するサブカルチャーとなった。1987年は、その巨大な転換期だったのだ。
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