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アントニオ猪木vsマサ斎藤の“巌流島決戦”は血だらけの死闘に…証言で見る舞台裏「猪木さんは自暴自棄に」「あんな馬鹿な試合ができるのは…」

posted2022/10/25 17:15

 
アントニオ猪木vsマサ斎藤の“巌流島決戦”は血だらけの死闘に…証言で見る舞台裏「猪木さんは自暴自棄に」「あんな馬鹿な試合ができるのは…」<Number Web> photograph by Essei Hara

1987年10月4日、アントニオ猪木とマサ斎藤による「巌流島決戦」

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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Essei Hara

10月1日に逝去した名レスラー、アントニオ猪木。昭和のプロレス界を牽引し続けた新日本プロレスと猪木だったが、1980年代後半に大きな転換点を迎えることになる。『闘魂と王道 昭和プロレスの16年戦争』(ワニブックス刊)より、「1987 海賊男、世代闘争、巌流島、TPG……ゴールデンタイム時代最後の断末魔」の章を抜粋して掲載する。《全2回の前編/後編につづく

 1984年に選手大量離脱に見舞われ、ブームから一転、存亡の危機にさらされた新日本プロレス。それでも85年には全日本からブルーザー・ブロディを引き抜き、翌86年には前田らUWF勢をカムバックさせるなどテコ入れを行い、なんとか持ちこたえる。

 とくにシビアな格闘プロレスを標榜するUWF勢との“イデオロギー闘争”と呼ばれた闘いはコアなファンの人気を呼んだが、以前の日本人vs外国人のような善悪がハッキリしたわかりやすい構図ではなかったため大衆には受けず、視聴率は低迷。かつて20%以上が当たり前だった視聴率は、10%そこそこにまで落ち込んだ。そしてテレビ放送の時間帯も伝統の金曜8時から月曜8時に移行。ゴールデンタイムからの撤退もささやかれるようになる。

猪木vsマサに乱入した怪覆面「海賊男」

 そこで、さらなるテコ入れとして計画されたのが、長州力の復帰だ。しかしこのとき長州は全日本プロレスとの契約下にあり、簡単に新日マットに上がることはできない。そのため新日本は、長州の師匠格であるマサ斎藤をまず“長州軍の先兵”として参戦させることを決める。マサは長年アメリカでトップレスラーとして活躍する“日本人メジャーリーガー”であり、この前年、米国内でトラブルに巻き込まれ服役していたが、猪木直々の頼みで出所後の日本復帰を決めた。

「アントニオ猪木が刑務所に手紙をくれてね。長州が戻るタイミングで一緒に戻ってきてくれという話だった。だから俺は服役中から身体を鍛えて、いつでもリングに戻れるコンディションに仕上げていたんだ」(マサ斎藤)

 そして、1987年3月26日の『INOKI闘魂LIVEパート2』で猪木とマサは対戦。猪木デビュー25周年の記念試合であり、長州復帰の巨大な“予告編”でもあるこのカードは大きな反響を呼び、大阪城ホールは超満員にふくれあがる。しかし、試合の途中でかねてから猪木への挑戦状を送りつけていた謎の怪覆面「海賊男」が乱入し、わけのわからぬまま、猪木の反則勝ちに。これに怒ったファンが暴動を起こし、大阪府警機動隊まで出動する不祥事となってしまう。猪木健在、新日本復活を印象づけるための大会は、逆に大きな汚点を残してしまったのだ。

【次ページ】 「猪木さんはある種、自暴自棄になっていたんですよ」

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