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アントニオ猪木vsビッグバン・ベイダーは“大暴動”に発展…新日本プロレスが迎えた“巨大な転換期”と「猪木の二面性」の正体 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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photograph byEssei Hara

posted2022/10/25 17:16

アントニオ猪木vsビッグバン・ベイダーは“大暴動”に発展…新日本プロレスが迎えた“巨大な転換期”と「猪木の二面性」の正体<Number Web> photograph by Essei Hara

12月27日、TPGからの刺客として登場したビッグバン・ベイダーとアントニオ猪木が対戦

大一番で登場したTPGとビッグバン・ベイダーだったが…

 世代闘争が頓挫したあと、各々の思惑と野心がむき出しとなり、収拾がつかないカオス状態となっていた新日本。そんな中で、12月27日に両国国技館での大一番『イヤー・エンド・イン国技館』が決定。テレビで特番が組まれたこの大会は、新日本がゴールデンタイムに残れるかどうか瀬戸際の大会でもあった。

 メインイベントは、ようやく組まれた猪木vs長州の頂上対決。しかし、それだけでは特番として心もとないと考えたのか、“飛び道具”が投入される。それがビートたけしの「たけしプロレス軍団(TPG)」だ。TPGは「たけしがスカウトしたレスラーを猪木に挑戦させる」という『ビートたけしのオールナイトニッポン』内で生まれた企画に新日本が乗り、『東京スポーツ』が誌面で煽るかたちで展開。ラジオにゲスト出演した際、たけしから参謀格に指名されたマサ斎藤が、アメリカからスカウトしてきた未知の外国人レスラー、ビッグバン・ベイダーを両国大会に送り込むことになった。

 対戦カードは、藤波辰爾&木村健吾vsビッグバン・ベイダー&マサ斎藤。この試合、ベイダー&マサと共に、ビートたけし自身もたけし軍団を引き連れリング登場。当時、たけし人気は絶頂期であり、大いに盛り上がると思われていたが、プロレスファンは“部外者”参入を拒絶。1万人の観客がたけしに罵声を浴びせるという、テレ朝関係者には意外な展開となる。

ドタバタの茶番劇に怒り、最悪の大暴動に

 そして、たけし軍団のガダルカナル・タカとダンカンが「猪木さんは我々の挑戦を受けてくれたはずです」「(ベイダーと猪木の一騎打ちを)やらせてくれ!」とマイクでアピールし、マサ斎藤が「猪木、俺がアメリカから連れてきたこの男と闘え!」と迫ると、猪木は「よーし、受けてやるか、コノヤロー! (お客さん)どーですかー!」と対戦を受諾。メインイベントの猪木vs長州は、猪木vsベイダーに急遽変更となり、長州はベイダーの代わりにマサと組んで、藤波&木村と闘うこととなってしまったのだ。

 この観客を無視した展開に怒ったファンは、長州&マサvs藤波&木村が始まると、一斉に「(試合を)やめろ」コールの大合唱。リング上には物が投げ入れられ、長州、藤波ら4人は、ゴミが飛び交う汚れたリング上で、ただただ黙々と試合をこなさねばならなかった。

「長年プロレスをやってきて、あんな惨めなことななかった。それまで俺と長州の試合というのは、新日本の看板、ドル箱であり、俺にとっても誇りだったんだよ。それがゴミが飛んでくる中やらなきゃいけないんだから、情けなくて思い出したくもない」(藤波)

 結局、観客の反発があまりにも大きいため、猪木vsベイダー戦の前に、急遽また猪木vs長州戦を行うこととなったが、2試合目である長州は、わずか試合時間5分で血だるまにされ、セコンドの馳浩が救出のため乱入したことにより反則負け。さらにメインでは、そのままベイダー戦に突入した猪木も精彩を欠き、あっさりとフォール負け。これによって、猪木vs長州の熱い闘いを期待しながら、ドタバタの茶番劇を見せられた観客の怒りがついに爆発。大阪城ホール以上の大暴動に発展し、新日本プロレス激動の1987年は最悪なかたちで幕を閉じたのだ。

【次ページ】 新日本プロレスが迎えた、巨大な転換期の結末

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