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ノーベル平和賞の叔父は「性暴力に苦しむ5万人の女性を救った“闘う医師”」J2徳島の助っ人FWの意外な過去〈幼少期はコンゴ戦争を経験〉 

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熊崎敬

熊崎敬Takashi Kumazaki

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photograph byJ.LEAGUE

posted2022/07/04 06:00

ノーベル平和賞の叔父は「性暴力に苦しむ5万人の女性を救った“闘う医師”」J2徳島の助っ人FWの意外な過去〈幼少期はコンゴ戦争を経験〉<Number Web> photograph by J.LEAGUE

6月26日J2第23節・群馬戦で決勝ゴールを決めた徳島ヴォルティスFWムシャガ・バケンガ。欧州4カ国9クラブを渡り歩き、昨季途中からチームに加入した

「私はいま、ウクライナで起きていることにものすごく胸を痛めています。そして同時に、コンゴ人のルーツも持つ者として、複雑な感情も抱いています。例えばコンゴやアフガニスタンで10人の子どもが亡くなっても、ほとんどニュースにはならないのに、ヨーロッパでそれよりも少ない死者が出ると大変なニュースになる。実はコンゴではこの25年間で600万人もの死者が出ていますが、そのことが語られることはほとんどない。私には、そのことがものすごく悲しいのです」

 そのことは難民への対応にも通じる。

「コンゴはたくさんの難民を出していますが、彼らにはなかなかビザが出ない一方、ウクライナからの難民にはすぐに発行されるなど、多くの国で対応が違う。私はすべての国の人々が平等な扱いを受けるべきだと思いますが、現実はそうではないのです」

 残念ながら、日本も例外ではない。

 ウクライナ難民支援へ、日本政府は政府専用機を出し、 “避難民”という資格で迅速かつ手厚い保護を始めたが、その対応は従来の難民への対応とはまったく異なるものだった。

 難民条約に批准しながら日本は欧米各国と比べて難民認定率があまりにも低く、20年は3936人の申請に対して47人しか認められなかった。難民認定が認められなかった人々は入国管理局に収容されるか、仮放免という就労や移動の自由が許されず、社会保障も受けられない過酷な条件での暮らしを余儀なくされている。

 筆者にも実はコンゴ出身の友人がいる。祖国で政治運動を行なったことで政権から迫害を受け、命からがら日本にたどり着いたが、彼もまた難民申請が認められず、仮放免での困窮生活を続けている。

祖国に学校を建設「1200人に増えた」

 サッカー選手としてプレーに打ち込む一方で、バケンガは祖国にいるコンゴ人たち、そして世界中に難民として散った同胞のためになにができるかを自らに問い続けている。

「祖国のためにやっていることとしては、学校の建設があります。300人の生徒から始めて、いまでは1200人に増えたんですよ。できればサッカースクールをつくりたかったのですが、それは今後の目標。まず、なによりも教育が大事ですから。コンゴという国は食べものがなく、戦災孤児も珍しくない地域があり、未来を描けない劣悪な環境の中で多くの人々が暮らしています。そういう人たちのために、なにかできればと考えているんです」

 ノルウェー語と英語での出版が決まっている、自伝を出すこともその一環だ。

 ノーベル賞受賞者を叔父に持つ、マルチルーツのストライカーは人懐っこい笑みをたたえて最後に自伝をPRした。

「多くのサッカー選手が自伝を出していますが、内容はまったく異なるものになるはずです」

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