JリーグPRESSBACK NUMBER
ノーベル平和賞の叔父は「性暴力に苦しむ5万人の女性を救った“闘う医師”」J2徳島の助っ人FWの意外な過去〈幼少期はコンゴ戦争を経験〉
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
photograph byJ.LEAGUE
posted2022/07/04 06:00
6月26日J2第23節・群馬戦で決勝ゴールを決めた徳島ヴォルティスFWムシャガ・バケンガ。欧州4カ国9クラブを渡り歩き、昨季途中からチームに加入した
バケンガは生まれ育ったノルウェーに加えて、コンゴの国籍も有している。というのも彼は、ノルウェーに移り住んだコンゴ人の両親の間に生まれたからだ。
母がユニセフ(国際児童基金)のスタッフだったこともあり、バケンガは3歳のとき、両親とともに祖父母や親戚が暮らすコンゴ東部に移り住む。
「両親の努力もあって、コンゴでの3年間は楽しい思い出ばかりが残っています。ビニール袋でボールをつくってサッカーをしたり、ダンスをしたり。食べものは少なかったですが、ビスケットなんかが手に入ると、ダンス大会の賞品なんかにしてね」
楽しい思い出が尽きない3年間はしかし、命の危機に脅かされる日々でもあった。
「70人を超える家族、親戚たちと暮らしていた私たちは、コンゴ東部で居場所を転々と変え、父が9カ月失踪していたこともありました。あるとき久しぶりに元の家に戻ったときにはテロリストが銃を乱射した跡があり、お気に入りのクマのぬいぐるみが見るも無残な姿に変わり果てていました。あのときは心底つらい気持ちになりました」
「ブラックリストに挙げられていました」
コンゴでの3年間は、戦時下といっても過言ではない状況だった。というのもこの時期のコンゴは、隣国ルワンダの大虐殺に端を発した「第一次コンゴ戦争」の真っ只中にあったからだ。
バケンガが淡々と語る。
「私たち一族が迫害されたのは、私の両親の祖父がどちらもキリスト教の宣教師をしていたからです。彼らの教えはテロリストの思想に反したもので、両親もまた政府の汚職などに反対したことから反政府勢力と見なされ、ブラックリストに挙げられていました。状況は非常に複雑で、私のストーリーを理解しようと思ったら1週間はかかると思います」