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「“東大野球部に入ると留年する”って本当ですか?」文武両道の神童たちはどんな進路を歩む? 東大野球部の就職先ランキング《92年~01年編》
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph byKYODO
posted2022/06/11 11:01
東大野球部時代の遠藤良平(1999年撮影)。99年ドラフト7位で日本ハム入り。この遠藤の世代を含む「92年~01年」の東大野球部エリートたちの就職先ランキングを調査した
92年~01年までの10年間で、東大から唯一プロに進んだのは遠藤良平。遠藤は1年春から神宮球場のマウンドに立ち、4年間で57試合に登板したエース左腕だ。東大歴代5位となる8勝をあげ、当時六大学野球の看板スターだった高橋由伸との対戦も通算9打数2安打に抑えるなど、その実力は本物。
そして、99年度ドラフトにて日本ハムファイターズから7位指名を受け、東大史上4人目のプロ野球選手となった。だが、01年に一軍登板を果たしたのも束の間、同年オフに戦力外通告を受け、その後は日ハムのフロントに入る。15年からは、球団のGM補佐を務めている。
社会人野球に進んだのは高橋崇展(96年卒・投手)、浜田睦将(98年卒・外野手)、氏家修(99年卒・投手)の3人。
高橋は投手として通算7勝を挙げた東大を代表するエースだ。3年生だった94年の春には立教大を相手に完封勝ち。東大は17季ぶりの単独最下位脱出を果たしている。続く94年秋には早大を完封するなど大車輪の働きを見せ、卒業後は三菱自動車川崎へ進む。そんな大投手と入れ替わりで入部したのが前述の遠藤だった。
浜田は東大時代は4番打者として活躍。4年間で打率.242、1本塁打を記録し、卒業後は住友金属鹿島で野球を続けた。
氏家は一度は東北大に進んだが、東大を受験して合格。東大野球部に入部し、速球を武器に活躍するが、途中、肘の故障に泣いた。卒業後は新日鉄八幡野球部に進んだ。
社会人野球に進んだOBは、会社の仕事もしながら練習に励み、数年で引退するのが一般的だ。ユニフォームを脱いだ後は、所属会社の社員として勤務を続けていく。知力と体力と野球への情熱がひときわ強い彼らのサラリーマンとしての活躍については、いずれ稿を改めて追ってみたい。
以上、92年から01年までの東大野球部の進路状況を見てきた。次からは主に02年~11年の状況を紹介していく。(文中敬称略)
<02年~11年編>へ続く
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