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《12年前のダービー秘話》「新馬戦は負けるかもしれないけど…」エイシンフラッシュが“破格の末脚”で勝利、結実した“我慢の馬づくり”とは 

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井上オークス

井上オークスOaks Inoue

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photograph byKeiji Ishikawa

posted2022/05/26 11:00

《12年前のダービー秘話》「新馬戦は負けるかもしれないけど…」エイシンフラッシュが“破格の末脚”で勝利、結実した“我慢の馬づくり”とは<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa

2010年の日本ダービーを制したエイシンフラッシュと内田博幸騎手。上がり3ハロン32秒7という破格の末脚を繰り出して力強く差し切った

 2010年5月30日、東京競馬場。第77回日本ダービー。皐月賞馬のヴィクトワールピサが、単勝2.1倍の1番人気に推された。一方エイシンフラッシュは単勝31.9倍で、7番人気の伏兵であった。

 レースは超スローペースで進み、力んで行きたがる馬も見受けられた。そんな中でエイシンフラッシュは、9~10番手で我慢し、脚を温存していた。藤原厩舎が施した“我慢できる馬づくり”と内田の騎乗が、がっちり噛み合っていた。そして直線、先に抜け出したローズキングダムを目がけて、上がり3ハロン32秒7という破格の末脚を繰り出し、力強く差し切った。藤原はこう振り返る。

「みんな期待していた馬なのに、『新馬戦は負けるかもしれない』と言ったら、心が沈みますよね。そこをオーナーと社台ファームが理解してくれて使わせてくれたからこそ、ダービーを獲れたんです」

 藤原は開業10年目でダービートレーナーの称号をつかんだわけだが、レース中に叫ぶこともなく、冷静だったという。

「誰もが勝ちたいダービーを獲らせてもらって、すべての人に感謝すると共に、今後のモチベーションというか、起爆剤になりました。『これからさらに注目されるわけやから、より技術を上げて行こう』と。ダービーを勝って終わりではないからね。2回も3回も4回も、獲っていかないかんわけやから」

ダービー出走が叶わなかった「すごい馬」

 ダービーを勝ってなお、溢れだす向上心。藤原厩舎には、馬術の選手をはじめ、幼い頃から馬に親しんできたスタッフが集まっている。人呼んで、「馬を扱うプロ集団」。そのトップである藤原は、54歳になった現在も、ばりばり馬に乗っている。

「馬を下(地上)から見ても、70か80までしかわからへん。でも馬に乗ったら、100でわかる。そのために馬乗りをしてきたわけやから、この技術を使わない手はないと思うんです」

 そんな藤原に、ダービーを強く意識させ、しかし出走が叶わなかった馬がいる。ディープインパクト産駒の良血馬、シルバーステートだ。大器と目されたが屈腱炎を発症し、2016年の3歳クラシックに参加することができなかった。

「私が乗ったなかで、『一番ポテンシャルが高くてすごい馬』でした。だけどやっぱり、馬は機械じゃなくて生き物やから難しい。個々の体質があるし、運もないと、ダービーは獲れへんのでしょうね」

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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