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JRA初の女性騎手・細江純子が告白する“現役生活5年間”の苦悩「ウワサ話が怖くて…」「相談しただけで恋愛関係だと誤解された」

posted2021/12/24 11:02

 
JRA初の女性騎手・細江純子が告白する“現役生活5年間”の苦悩「ウワサ話が怖くて…」「相談しただけで恋愛関係だと誤解された」<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa

JRA初の女性ジョッキーとして活動した当時を振り返った細江純子

text by

音部美穂

音部美穂Miho Otobe

PROFILE

photograph by

Keiji Ishikawa

「女性初」。その言葉は、どんな世界においても、驚きと一種の華やかさを内包して語られる。しかし、その当事者たちは、多大なプレッシャーにさらされ、時には「女性初」の呪縛に自ら囚われてしまうことが少なくない。

 1996年、JRA初の女性騎手としてデビューした細江純子にとっても、それは例外ではなかった。現在は、“ホースコラボレーター”として、テレビや新聞等での解説で活躍する彼女は、どんな思いを抱きながら競馬人生を歩んできたのか。四半世紀にわたる日々を振り返ってもらった。(全3回の1回目/#2#3へ)

「武豊さんとスーパークリークに衝撃を受けて」

 細江が騎手としてデビューした’96年には、他にも田村真来、牧原由貴子(現在の姓は増沢)の2名の女性騎手が同時にデビューを飾っている。

 田村が現役騎手の娘だったのに対し、一般的なサラリーマン家庭の出身だった細江。中学生の時、初めて競馬中継を目にした日のことを、彼女は今も鮮明に覚えている。

「父がたまたまつけていたテレビの競馬中継を見て、1頭だけ、馬と騎手ではなく1つの物体に見えて……。その美しさに衝撃を受けたんです。といっても競馬の知識なんて全然なかったので、それが武豊さんとスーパークリークだったと知ったのはずっと後のことでした。

 またヒロインが馬とともに成長していくアニメ『ハロー! レディリン』が好きで、自分でも競馬を見るようになり、次第に騎手の仕事に憧れを抱くようになったんです」

合格の知らせを聞いて母が流した「不安の涙」

 騎手を目指す場合、中学卒業と同時に競馬学校に入学するのが一般的なルートだ。しかし、細江が競馬学校への入学を果たしたのは高校卒業後。それは、細江が一般家庭の子供で、乗馬経験もほとんどなかったことが大きく関係している。

「どうやったら競馬学校に入れるのかすら知らなかったので、準備期間が必要だったんです。高校3年間の間にジムに通って体を鍛えたり、夏休みに乗馬クラブで馬の世話の手伝いをさせてもらったり。また、競馬学校に手紙を書いて見学もさせてもらいました。

 合格を聞いた時、私は天にも昇る気持ちでしたが、両親は複雑だったでしょうね。『職業と結婚は自分で決めなさい』が両親の口癖だったので反対はしなかったものの、騎手が命の危険も伴う過酷な仕事だということは認識していたでしょうから……。合格の知らせを聞いて母が流していたのは、嬉し涙ではなく不安の涙でした」

【次ページ】 「女子3人で仲良く励まし合う余裕は全くなかった」

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