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「オルフェーヴルはなぜ負けたんだ」何十回も見直したあの凱旋門賞…カンテレ岡安アナが初めて語る“アナウンサー人生で一番印象深いレース”

posted2022/05/23 11:01

 
「オルフェーヴルはなぜ負けたんだ」何十回も見直したあの凱旋門賞…カンテレ岡安アナが初めて語る“アナウンサー人生で一番印象深いレース”<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama/AFLO

関西テレビ岡安譲アナ。「(2012年の凱旋門賞は)アナウンサー人生の中で最も印象に残るレース」と明かした

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齋藤裕(Number編集部)

齋藤裕(Number編集部)Yu Saito

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Takuya Sugiyama/AFLO

 今から10年前の2012年、凱旋門賞の最後の直線で先頭に立ち、日本馬の悲願達成に限りなく近づいたのがオルフェーヴルだった。個性的な走りで「金色の暴君」とも称されたスターホースは、他馬を突き放し一度は先頭に立つも突如失速し内側に斜行。1着ソレミアからクビ差の2着に終わり、日本の競馬ファンは涙を呑んだ。

 その勇姿を現地で見守り、実況したのが関西テレビ岡安譲アナだ。10年後の今、古馬GIレースの実況を担当し、カンテレ競馬のYouTubeチャンネルではオルフェーヴルの仔・メロディーレーンを追いかけまくっていることでも知られる名物アナは「アナウンサー人生の中で最も印象に残るレースですが、これまで語って来なかった」という。初めて明かされる10年前の決戦の舞台裏とは。

 今回は、Number1051号「ダービーから世界へ」で行ったインタビューに、掲載しきれなかった内容を盛り込んだ「完全版」をお届けする。

――2012年の凱旋門賞を現地で実況することが決まったのはいつ頃だったんですか?

岡安譲アナ(以下、岡安) 凱旋門賞の3カ月ほど前、オルフェーヴルが宝塚記念(2012年6月)を勝った後だったと思います。僕は前年に菊花賞でクラシック三冠達成の瞬間を実況して、その後のオルフェーヴルの実況も、もちろん希望していました。ただ、当時は現地に中継スタッフのみ派遣して、日本から実況する「オフチューブ」というやり方か、フジテレビの別のアナウンサーが行く可能性が高かったんです。でも、僕と同い年でディレクターの繁田(直紀)くんが「現地で実況しないなんてありえない。そしてオルフェーヴルなら、三冠を実況した岡安だ!」とフジテレビに頼み込んでくれて、僕の凱旋門賞挑戦が決まったんです。嬉しい思いと同時に、日本を代表していくわけですから、「一世一代の大舞台だ」と身の引き締まる思いがしました。

――決まってから日本で準備したことは?

岡安 過去の日本馬が挑戦した映像を見ながら、エルコンドルパサーも無理だった、ディープインパクトも届かなかった。しかし遂にオルフェーヴルが……と勝利した時の実況のイメージを膨らませていましたね。

「凱旋門賞のコースを自分の足で歩いた」

――フランスには何日前から?

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