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「髪型は自由でシゴキも皆無」元日ハム・大嶋匠が明かす男子ソフトボール部の“ユル~い文化”「冬場はひたすらサッカーでした(笑)」
posted2022/04/26 17:00
text by
菊地高弘Takahiro Kikuchi
photograph by
JIJI PRESS
かつて大学ソフトボール部から、プロ野球の世界に飛び込んだ異色のプレーヤーがいた。現在、群馬・高崎市役所に勤めながら同市役所のソフトボール部で活躍する大嶋匠さんだ。
2018年にプロ野球の世界を離れて3年以上が経過したが、大嶋さんは「ソフトボール用のバットが軽すぎて、いまだにバッティングの感覚が戻りません」と苦笑する。
競技人口が多いメジャースポーツの野球に対して、ルールが似ているソフトボールは注目度がさほど高くない。野球部には部員が丸刈り頭に統一するなど独自のしきたりや風土があるが、ソフトボール部にはどのような文化があるのだろうか。
ソフトボール、野球の両スポーツを体験した大嶋さんに、知られざる男子ソフトボール部の世界を語ってもらった。
◆◆◆
――大嶋さんは小学校では軟式野球チームでプレーし、中学から新島学園の男子ソフトボール部に入部しています。なぜソフトボール部だったのでしょうか。
大嶋 新島学園にはソフトボール部しかなかったので。実は硬式野球クラブチームへの入団も考えたんですけど、体験練習に行った時にデッドボールを受けて「自分に硬球は早すぎる」と感じてしまって(笑)。
――新島学園は高校ソフトボールのインターハイ常連校ですが、その中学のソフトボール部は厳しかったのでしょうか?
大嶋 まったくきつくありません。部員は1学年6~7人程度で、3学年合わせて20人いないくらい。「勝つ」というより、「ソフトボールを楽しもう」ということに主眼を置いた活動でした。
――チームは強かったのですか?
大嶋 群馬県大会では優勝できても、関東大会では負けるレベルでした。県大会優勝といっても、群馬には4チームしかなかったので。
――練習試合の相手に困りそうですね。
大嶋 中学生と練習試合をした記憶がないんです。高校の練習試合相手のBチームと試合をしたり、社会人クラブチームと合同練習をしたり……。中学生とソフトボールの試合をするのは、大会の時だけでした。