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日本代表の救世主、伊東純也の大学時代・伝説的エピソード…サッカー部先輩の証言「4年生に“ジュース買ってよ”」「遅刻して坊主にしてた」
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph byGetty Images
posted2022/04/20 12:09
カタールW杯最終予選で4試合連続ゴール…救世主となった伊東純也(29歳)のルーツとは?(写真は2016~18年にプレーした柏レイソル時代)
「あるとき、純也が試合で相手DFに完全に封じられ、悔しくて涙を流しているのを見たことがあります。それと確か2年のときだったと思うのですが、チームの主力になりつつあったのに、立て続けに練習に遅れてきたことがありました。遅刻を繰り返した場合には頭を丸めるというチームルールがあったので、純也は翌日に坊主にしてきました。
周りに迷惑をかけるようなことはなかったですが、どこかフワフワしたような緩さがあったのは確か。それでもその直後のリーグ戦でゴールを決めてしまうのが純也なんです(笑)」(関森さん)
関東大学リーグ2部で得点王、アシスト王に
プレーに関してはスピードという武器がありながら、学生時代からそれに固執することなくフェイントやパスなどの技術習得にも熱心に取り組んでいた。
「普通、あれだけ足が速ければ裏にボールを蹴って走るなどスピードでゴリゴリいきがちですが、それに頼らずいろんな引き出しを見つけ出そうとしていたんだと思います。何も考えていないように見えて、当時プロ入りが内定していた佐々木(翔、現広島)ともよく話していましたし、本人は将来のことなども考えていたのかもしれません」(大野さん)
右サイドのチャンスメーカーとしてのイメージが強かった伊東だが、最終予選では高い得点力を発揮し、“絶対に負けられない”森保ジャパンのピンチを何度も救った。だが、伊東のゴールラッシュについてはいまに始まったことではないと関森さんは強調する。
学生時代は2トップの一角か左の攻撃的な位置をやることが多かった伊東は、関東大学リーグ2部で3年時には20試合17ゴールで得点王に、4年時には10ゴール12アシストでアシスト王に輝いているのだ。
「2月のサウジアラビア戦の先制点は、純也が斜めに走って相手DFを振り切るところからチャンスが生まれましたが、ああいうプレーは昔から変わっていません。2点目の豪快に決めたミドルシュートも、実は学生時代に何本もあった形でした。自分で行くこともできれば、味方に点を取らすこともできる。プロに入ってからは右サイドに固定され、そういうプレーは減ったかもしれませんが、学生時代を知る我々からすれば、W杯最終予選の姿こそ純也らしいというか……。もちろん、そんな大舞台で純也らしさが見られるとは私も想像していませんでしたけどね(苦笑)」
高3時の高校選手権は神奈川県ベスト32で敗退。大学時代も、関東大学リーグの1部と2部を行ったり来たりするチームにいたことで、伊東が全国的に脚光を浴びることはなかった。だが、もし規律ある強豪校に進学していたら……その未来は、また違ったものになっていたかもしれないと思えば、伊東にとっては“雑草”と呼ばれるその道が最善だったのかもしれない。
<#3へ続く>