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日本代表の救世主、伊東純也の大学時代・伝説的エピソード…サッカー部先輩の証言「4年生に“ジュース買ってよ”」「遅刻して坊主にしてた」
posted2022/04/20 12:09
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph by
Getty Images
小中高と全国大会を一度も経験せず、「家が近いから」と地元の公立高、大学のサッカー部で汗を流してきた。父親、サッカー部関係者、Jリーグスカウトの証言をもとに描く“伊東純也が救世主になるまで”(全3回の2回目/#1、#3へ)。
神奈川大1年生時代「伝説の流経大戦」
現在、神奈川大学の職員として働きながらサッカー部のマネジメントコーチを務める大野洋樹さんの頭のなかには、約11年前の茨城県古河市の古河市サッカー場で行われた神奈川大対流通経済大戦での伊東純也の姿がはっきりと残っている。
それまで10試合勝ち星から見放されていた神奈川大にとって、その試合が関東大学リーグ1部残留に向けてのターニングポイントとなったからである。
4年生だった大野さんはセンターバックとして先発出場していた。そして、神奈川大が2点をリードした60分に途中交代でピッチに入ってきたのが、リーグ初出場の1年生FW伊東だった。すると神奈川大は直後に1点を追加し、さらに終盤にも追加点を加え4-0と勝利を収めている。
「当時、神奈川大は関東大学リーグ1部にいましたが、それほどレベルの高いチームではありませんでした。前期を最下位で折り返し、後期に入っても勝利がなく苦しい戦いが続いていました。内容的にも、主将の佐々木翔(現広島)のヘディングの強さを生かして、セットプレーでなんとか1点を取って守り切るというのが勝ちパターンでしたから。
そんな僕らが強豪の流通経済大から4点も取って勝ったわけですが、後半途中に伊東が入ってくると彼のスピードが見事にチーム戦術にハマったのです。(11年前のため)さすがに細かなプレーまでは覚えていません。ただ、とにかくスピードが抜群で相手DFの裏に蹴ったら何とかしてくれる、1年生なのにすごい選手が出てきたなと感じたのをはっきりと覚えています」
ルーキー伊東の出現でシーズン3勝目を挙げた神奈川大は、その後も6試合で5勝を挙げるなど、降格争いから抜け出し1部残留を決めた(この試合が後に、伊東をプロの世界へ導くことになる)。
“プロ入り内定の4年生”をスピードでぶち抜く
選手とコーチという間柄で伊東の大学4年間を知る関森悟さん(現かながわクラブ監督)にも、はっきりとした記憶がある。
初めて伊東を見たのは、10年夏に神奈川大の練習参加に来たときだった。線が細く、制服の着方が少しダラしなかっただけに、どんなプレーをするのかと心配していたが、いざピッチに立つと“合格”を即決せざるを得ないインパクトがあった。
「プレーの粗さはありました。でも、それ以上に速さが際立っていて、トップスピードになるのが早いだけでなく、ドリブルしてもそのスピードが落ちないんです。高校時代に全国大会を経験していなかったことで、最近は純也に対し“雑草”という言葉も使われていますが、それには少し違和感を覚えます。大学に入ってきたときにはそれなりの素材でしたし、大森(酉三郎、2004~10年、19年~現在)監督はチームを離れる際に『伊東をプロにできなかったら指導者失格だな』という言葉を置き土産にしていったほどですから」