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公立高サッカー部時代は名門に1-6大敗…伊東純也はいつ覚醒した? 父親の証言「足は速い子でしたが野菜嫌いで…まさか日本代表になるとは」
posted2022/04/20 12:08
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph by
Getty Images/父・利也さん提供(左)
小中高と全国大会を一度も経験せず、「家が近いから」と地元の公立高、大学のサッカー部で汗を流してきた。父親、サッカー部関係者、Jリーグスカウトの証言をもとに描く“伊東純也が救世主になるまで”(全3回1回目/#2、#3へ)。
カタールW杯に向けたアジア最終予選の10試合中9試合出場はチーム最多タイ。出場時間711分は、フィールドプレーヤーでは遠藤航(793分)、吉田麻也(720分)に次ぎ、攻撃的なポジションでは最多を誇る。
序盤の3試合で2敗を喫し、崖っぷちに立たされたなか、第5戦のアウェイ・ベトナム戦から第8戦のホーム・サウジアラビア戦まで4試合連続でゴールを決めただけなく、その間に日本が奪った全6ゴールに絡むなど、アジア最終予選における森保ジャパンの窮地を救ったのが伊東純也(29歳)だった。
3月29日のベトナムとの最終戦でも日本代表はホームで格下相手に1-1のドローに終わったが、1点を追う後半頭から旗手怜央に代わって伊東が入ると、にわかに右サイドは活性化。勝利にこそつながらなかったが、伊東は改めて存在感を示した。
だが、1年前に伊東のここまでの活躍を予想した人はどれほどいただろうか。伊東が代表に定着したのはロシアW杯(2018年)後のことだが、そこに辿り着くまでのキャリアは異質ともいえる。多くの日本代表選手が幼少期からエリート街道を歩んできているのに対し、神奈川県横須賀市で生まれ育った伊東は、プロ入りまで世代別代表に選ばれることもなければ、小中高時代は全国大会とも無縁なサッカー人生を送ってきたのだ。
父親「純也は抜群に上手いわけではなかった」
伊東が小学1年で地元の鴨居SCでサッカーキャリアをスタートすると同時に、同チームでコーチを始めた父・利也さんが述懐する。
「純也がサッカーを始めたのは近所の同級生がやっていたから。当時から足は速かったですが、抜群に(サッカーが)上手いというわけではなかったですね。鴨居SCは、純也の代はそこそこ強かったですが、あくまで地元でのことです。純也はどこに行くにもサッカーボールを持っていき、試合になると夢中でクルクル回るようにドリブルをしていました。ただ、周りの子と比べて特別なことはなかったですし、プロ選手にありがちなウィニング・ストーリー的な話はまったくないですね」
中学を卒業するまで背の順では、常にクラスで前から3番以内(現在は176cm)。苦手な野菜も多く、偏食だった伊東が、まさか日本を代表するプロサッカー選手になるとは利也さんも微塵も思っていなかったという。