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高校サッカーPRESSBACK NUMBER
“消えた天才”市船史上最高のストライカーは、なぜ2年でジェフを戦力外になった?「Jリーガーがチヤホヤされる時代、誘惑も多かった」
posted2022/01/28 12:30
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph by
KYODO
「運がよかったというか、本当にたまたま。8点取って優勝して、街を歩いても『おっ、得点王!』って呼ばれたり……。当時は何をするにしても、よくも悪くもそれがついて回って、ほっといてほしいと思ったこともありました。もちろん、いまは優勝してよかったと思っていますけどね」
1994年度の第73回高校サッカー選手権で市立船橋(千葉)のエースとして初優勝に貢献。決勝の帝京戦(東京)でハットトリックを達成するなど8ゴールで得点王に輝き、市船史上最高のストライカーと呼ばれた森崎嘉之は27年前を振り返り、そう苦笑いを浮かべた。
先の100回大会で3年ぶり3度目の優勝を遂げた青森山田(青森)も、5試合で21得点2失点と圧巻の強さを見せたが、数字の比較なら森崎のいた市船も負けていない。6試合を戦い23得点1失点、帝京との決勝も森崎の3点を含む5-0の快勝だった。
とりわけ帝京戦の2点目、右からの山なりのクロスに対し、ペナルティエリアの深い位置から豪快にヘッドで合わせたシュートは語り草になっている。
「当時はわからなかったですが、距離もあったし、あとで映像を見たらヤバかったですね(笑)。あのときはセンタリングが上がってきたときからすべてがスローモーションで見えたというか、ボールの軌道、飛ぶ瞬間、GKの位置までぜんぶがはっきりと見えました。ヘディングシュートは得意でよく決めていましたが、いわゆる‟ゾーン”に入っていたんでしょうね」
ジェフの2年間、出場時間は“4分間”のみ
95年の卒業後は市船でチームメートだった鈴木和裕、茶野隆行とともにJリーグのジェフ市原(現ジェフ千葉)に加入。高校サッカーで強烈なインパクトを残し、森崎は鳴り物入りでJリーガーとなったが、残念ながらその後サッカー界で彼の名前を聞くことはなかった。