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「背筋が凍った…松山英樹やべえな」天才ゴルファーが“俺は一番になれない”と悟った衝撃の18ホール「たぶん僕は彼らほどゴルフが好きじゃなかった」

posted2025/03/11 11:01

 
「背筋が凍った…松山英樹やべえな」天才ゴルファーが“俺は一番になれない”と悟った衝撃の18ホール「たぶん僕は彼らほどゴルフが好きじゃなかった」<Number Web> photograph by Yoichi Katsuragawa

学生時代はプレーヤーとしても活躍した黒宮幹仁さん。2022年から松山英樹のスイングコーチを務めている

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桂川洋一

桂川洋一Yoichi Katsuragawa

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Yoichi Katsuragawa

松山英樹(33歳)のコーチを務める黒宮幹仁(くろみやみきひと)は、かつてはプレーヤーとして将来を嘱望された逸材だった。まだ松山が全国区になる前から名の知れた学生で、むしろ好敵手として同学年の星・石川遼を追いかけていた。しかし、そんな黒宮の目の前でライバルが頭角を現していく。【NumberWeb消えた天才特集/全2回の2回目】

“ハニカミブーム”の始まり

 2007年5月、石川遼は初めて出場したプロツアー、マンシングウェアオープンKSBカップで優勝。東京・杉並学院高に入学してわずか1カ月後のことだった。

 15歳の高校生が百戦錬磨の男子プロに勝ったというニュースは、ゴルフ界を駆け抜けた。茨城県の名門・水城高に入学したてだった黒宮も練習中に他の部員とテレビを囲んでビックリ。ただし、何年もしのぎを削ってきた相手だったからこそ、「自分たちにもできるんじゃないか」と戦意は何倍にも膨れ上がった。

 “ハニカミ王子”ブームは、石川のキャラクターも相まってゴルフの枠を飛び越え、社会現象になった。黒宮はその様子も冷静に眺めていた数少ない一人である。

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「遼はもともとスター性があったから『まあ、こうなるわな』って感じでした。カッコイイし、清潔感もある。なにせ自分で”演じられる”選手。だから人気が出るだろうなあって」

 同じ年の8月、2人は日本ジュニアで最終日最終組で相対した。優勝した石川は林に突っ込んだかと思えば、チップインイーグルで歓声をかっさらうなど劇場型のゴルフはどんどん磨かれていった。

 ちなみに石川は翌2008年1月にプロに転向。4月の日本ツアー開幕戦・東建ホームメイトカップでいきなり5位に入った。実は試合前週から会場の三重県のゴルフ場で練習を重ねていたのだが、同じ宿に泊まって合宿のスパーリング相手を務めたのも黒宮だった。

【次ページ】 覚醒した松山英樹“衝撃の一打”

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