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プロ野球PRESSBACK NUMBER
お化け番組『水曜どうでしょう』チーフD・藤やんが語る、2006年新庄劇場と“北海道が東京に勝つ方法”「正攻法はだめ」
text by
田中仰Aogu Tanaka
photograph byDoudesou
posted2022/01/26 11:03
「水どう」藤村忠寿Dが語る北海道と新庄剛志監督論。後編はローカルが東京に勝つ方法について
これは余談だけど、そんな“外に出たがらない”道産子2人を、北海道から連れ出して、びっくりさせてみよう、というのが『水曜どうでしょう』サイコロ旅の狙いでした。北海道の視聴者も、その映像ではじめて西日本を知る、という人が多かったんじゃないかな。
――サイコロ旅といえば、深夜バスや新幹線、フェリーなどを使った長距離移動。日本ハムも北海道とあり、ビジターゲームでの移動距離が長いことで知られますが、移動後も高いパフォーマンスを維持する秘訣はありますか。
藤村 いやいや、そんなのねえよ(笑)。何より、プロ野球選手は深夜バス乗らないでしょ!
肌で感じた“2006年新庄劇場”の興奮
――藤村さんは大学卒業後、北海道テレビ放送に入社しますが、“よそ者扱い”されるようなこともなかったんですね。
藤村 まったくなかった。それは北海道の一つの特徴かもしれないな。でも、なぜ北海道に来たばかりの人も居心地がいいかと考えたら、「歴史がないから」かもって最近思い出して。札幌って、企業のマーケティングのサンプリングにもよく使われるんですよ。地元に凝り固まった考えがなくて、フラット。ある意味、自分たちの道民性(県民性)というものを自覚していなかった。だからこそ、『水曜どうでしょう』や日本ハムみたいな“よそ者”を受け入れて、自分たちのアイデンティティにしていけるんじゃないかと思うんです。
――日本ハムが北海道に移転したのは2004年でした。移転前はやはり巨人ファンが多かったのでしょうか。
藤村 そうですね。北海道に移転する前は、正直なところ日本ハムを「12球団で一番ファンになりにくいチーム」だと思っていた。(移転前の)東京には巨人もあれば、ヤクルトもある。当時、「北海道移転はあまりにも冒険では」という声があったことを覚えています。
――それが蓋を開けてみれば、ヒルマン監督が率いたチームは移転3年目の2006年に44年ぶりの日本一。“新庄劇場”と言われた1年は、北海道が野球に沸きました。
藤村 なんてったって、野球にまったく興味がなかった「水どう」のスタイリスト・小松(江里子)さんが、日ハムの話しかしなくなったからね(笑)。
「水どう」の大ファン・武田勝との対談で…
――たしかに、日本ハムには女性ファンが多い印象があります。
藤村 やっぱり新庄剛志さんが大きいと思うんですよ。女性から見ても、新庄さんは面白い、カッコいいと。実際に球場に行っても女性ファンが多く詰めかけていた。男女同権になった球団って、日本ハムが先駆けだったんじゃないかな。それこそ、僕が子供の頃に観戦して恐怖を感じた野球=大人の男のもの、という世界とはまったく違いました。