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「嫌われた審判」の引退試合に“最高のサプライズ” 異例の釈明会見、無言電話…家本政明はあの大バッシングをどう乗り越えたのか?
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE
posted2022/01/13 17:00
審判員としてラストマッチとなった横浜FMvs.川崎戦。試合後、両チームの選手たちが花道を作り、その功績を称えた
自宅には無言電話が掛かるようになり、知らないアドレスから「辞めろ!」と書き込まれたメールも届いた。まるで犯罪者のような扱いに、精神的に追い込まれた。
それでもレフェリーを辞めることまでは考えなかった。
「もし辞めたら、失敗を取り返すチャンスも、サッカーをもっと良くするチャレンジも全部放棄することになるじゃないですか。それだけは絶対にイヤだったんです。イバラの道かもしれないけど、辞めるという選択は違うだろって」
実際に「スポーツマーケティングの仕事に戻ってきたらどうだ」と誘われてもいた。だが今の状況から逃げたくなかった。
時之栖に移住してリスタート
静岡・時之栖に家本が“師匠”と呼ぶ人がいた。ケガの治療術と独自のトレーニング理論を持つその人の指導を受けるために、時之栖に移住した。レフェリーとして疲れない走り方や、ファウルを見極められるように動作解析の研究などに没頭した。
富士山の麓で自転車を走らせて心を洗い、古典に加え心理学や行動経済学など多くの書物も心の栄養剤となった。同志社大学の学生時代にカイロプラクティックの資格を取得しており、ここではアスリートの治療も手伝っている。
同時に、国際主審としてAFC(アジアサッカー連盟)の要請でアジア各地に出向いて高い評価を得ると、スーパーカップから3カ月後の6月にJリーグで再び笛を吹くことがようやく決まった。
大自然に触れ、多くのことを学び直し、見つめ直したうえでのリスタート。しかしまだ、大きく考えが変わったというところまでには辿り着いていない。
自分がレフェリーをやる意義とは何か――。
その解を家本は探し求めていた。
(つづく)
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