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「嫌われた審判」の引退試合に“最高のサプライズ” 異例の釈明会見、無言電話…家本政明はあの大バッシングをどう乗り越えたのか?
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE
posted2022/01/13 17:00
審判員としてラストマッチとなった横浜FMvs.川崎戦。試合後、両チームの選手たちが花道を作り、その功績を称えた
10年以上前のこと。
彼ほど嫌われまくったレフェリーを知らない。今とは真逆のスタイル。厳格にやろうとするあまりにカードを乱発して、結果的にそこがクローズアップされてしまうことが散見された。
決定打となったのが2008年3月1日のゼロックススーパーカップだった。鹿島アントラーズとサンフレッチェ広島の一戦、怒号と罵声が一人のレフェリーに注がれていた。
前半12分に鹿島DF岩政大樹が相手GKに背後から近づいて保持していたボールを足で蹴り落とす行為をイエローと判断して2枚目の警告処分で退場にした。PK戦では相手のキックよりも早くゴールラインの前に踏み出したGK曽ケ端準に2度やり直しを命じた末にサンフレッチェ広島が勝利したこともあって混乱が生じた。
試合の判定を不服としたアントラーズの選手たちに詰め寄られても毅然とカードを提示したことで今度はサポーターがなだれ込んでくる。
警告11枚、退場者3人。大荒れだった。
大バッシングに異例の釈明会見
シーズン直前のスーパーカップは、レフェリングの指針を示す意味合いもある。PKは特に留意すべきポイントであった。PK戦が始まる前には両GKに再度確認もしていた。家本からすれば、何の負い目もない。90分間のゲームにおいても正しい位置でプレーを確認して、正しくジャッジできたと思っていた。レフェリングの出来栄えを評価するアセッサーからは“合格点”が与えられた。
しかし「不可解判定」と大バッシングに遭い、レフェリングを問題視された。釈明会見を余儀なくされ、審判委員会から判定をおおむね支持されながらも「冷却期間が必要。割り当てられるチームと家本主審、どっちにとっても不幸」と、当面の割り当て停止を命じられてしまう。
そのときのレフェリングを、今の家本はどう見るのか。
「はっきり言って、ひどいです(笑)。プロ審判になってまだ4年目。大抜擢されて、気負って空回りした感じがありました。人としての若さや未熟さが如実にあらわれていると言いますか。岩政選手に出した最初のイエローも、(カードを出さずに)“分かるけど、落ち着こうよ”とコミュニケーションを取ったほうが絶対によかった。あの程度の反則にカードを出してしまうと、そこが基準になるのでカードの設定値が低くなる。
ただ当時は全体の指針として、選手と話をしちゃいけない、笑っちゃいけないというのがありました。厳格にやろうとするのは、僕だけじゃなかった。サッカーの神様に“レフェリーのみなさん、どうあることが望ましいのか考えましょうね”と問われた気がしました。どうしてこんなに叩かれるんだろうっていうのはありましたけど、自分もあの出来事に真摯に向き合い考えなきゃいけないと思いました」