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98年1月8日「雪の決勝」の当事者が語った“伝説の真実”…帝京のエースが悩む一方、東福岡は「ワクワク感が止まらなかった」 

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細江克弥

細江克弥Katsuya Hosoe

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photograph byKazuaki Nishiyama

posted2022/01/10 11:03

98年1月8日「雪の決勝」の当事者が語った“伝説の真実”…帝京のエースが悩む一方、東福岡は「ワクワク感が止まらなかった」<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

名門・帝京のキャプテンは中田浩二。抜群のゲームメイクで2トップの輝きを引き出した。

49勝2分、無敗の1年間。

 49勝2分――。結局、この1年の東福岡は練習試合を含めて1度も負けなかった。

「雪の決勝」は、高校サッカー史上随一の名勝負として今も多くのファンに語り継がれている。黄金世代の頂上決戦。東西の名門・名将対決。大一番を演出したまさかの大雪と、圧倒的な東福岡による史上初の三冠達成。キラキラと輝くトピックばかりで、誰もがロマンチックに語りたくなる。

 だからこそ、当事者である千代反田のむしろクールすぎる、もっと言えばどこかもの足りないコメントが三冠王者のとんでもない強さを引き立てる。

「自分たちにとっては“やって当たり前”のことで、特別じゃなかった。みんながそう思っていたことが、あのチームの強さだったのかなと思うんです」

 東福岡の面々は、もしかしたら、たとえこの試合に負けても「いや別に」と割り切ったかもしれない。それは絶対的な自信であり、揺るぎない強さの表れだ。しかし、帝京のエースは違った。今となっては、そこに大きな差があったと理解できる。

「俺たちは絶対に負けない。最後の最後までそう信じていました。3年間の練習量には絶対的な自信があったし、あれを乗り越えた俺たちが、こんなに楽しそうにサッカーやるヤツらに負けちゃいけないって。でも、ホントは違うんだよね。サッカーは、楽しんだヤツのほうが強い。あの時はまだ、そういうことがわかってなかった」

 プロ生活の最後の日に、木島はその始まりの日と位置づける「雪の決勝」が持つ意味を、少しずつ整理し始めた。

大人になって、先生の優しさに気づく。

「それからね」と、言葉を続ける。

「試合前に、古沼先生が言った気がするんですよ。『試合を延期してくれと言いに行ったけどダメだった』と。で、これは後から聞いた話だけど、先生、『生涯の思い出になる試合だから、最高の環境でやらせたかった』と、そう言ってくれていたみたいで。そういうことを聞いちゃうと、なんかジーンとくるものがありますよね。俺なんてずっとこんな感じだし、帝京の中でも特に雑草みたいなもんだったから。先生に優しい言葉をかけられたことなんてなかったんですよ。でも、大人になると、あの頃の先生の思いみたいなものに気づくことって、やっぱりあるじゃないですか」

 思い出しながら話すうちに、あの雪の決勝が、プロ生活22年の始まりにあることに改めて気づいた。決して華やかなキャリアではなかったかもしれない。しかし大切なものを両手にたくさん抱えたままスパイクを脱ぐ幸せを、木島は今、強く感じている。

木島良輔Ryosuke Kijima

1979年5月29日、千葉県生まれ。切れ味鋭いドリブルと高精度のシュートを武器に帝京で活躍。テスト生を経て横浜M入りし、その後は大分、町田などでプレー。40歳で迎えた昨年末、惜しまれながらも讃岐で現役引退した。

 

千代反田充Mitsuru Chiyotanda

1980年6月1日、福岡県生まれ。2年生にして東福岡の三冠を支え、翌年に選手権連覇を達成。筑波大を経て福岡でプロ生活を始め、新潟、徳島などで活躍。引退後は一時スクールコーチを務め、2016年にアサヒビール入社。

 

横田智雄Tomoo Yokota

1957年12月16日、東京都生まれ。筑波大を卒業して教員となる。立川高、石神井高などを経て現在は武蔵丘高に勤務。2013年の選手権決勝では全国高体連サッカー専門部長として、大会初となる悪天候による順延を決定した。

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