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《追悼》国見で6度選手権制覇、名将・小嶺忠敏が明かしていた“三浦淳寛の伝説” 「大会期間中だけは自主練習をやめてくれ」
posted2022/01/07 11:04
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph by
Takuya Sugiyama
2002年の春休み。国見高校サッカー部一同を乗せたバスは、強豪校を集めて開かれる大会に参加するため、岐阜県大垣市に向かっていた。2カ月前に2年生で選手権優勝を経験した渡邉大剛は、はりきっていた。新チームの主将に指名されたからだ。その反面、ちょっとだけ調子に乗っていたのかもしれない。彼の首には、銀色のネックレスがぶら下がっていた。
恋愛禁止。
国見サッカー部“鉄の掟”をすり抜けて付き合っていた、同級生の彼女からもらったプレゼントだった。
春の柔らかな日差しのせいだろうか。バスを降りた渡邉の首元が、きらりと光った。コーチはそれを見逃さず、激怒。すぐさま監督の小嶺忠敏へ報告された。
「そんなものしているなら、もう長崎に帰れ! キャプテンも剥奪や!」
指揮官の怒号が響く。渡邉もそれに負けない大きな声で、反省の言葉を口にした。根は真面目な少年だ。毎日提出するサッカーノートは、誰よりもびっしり、丁寧に書かれていた。小嶺もそれを知っている。
「わかった。じゃあ残っていい。ただし、試合には出さん。走っとけ!」
“国見史上最も丁寧にノートを書く”少年
グラウンドに着くと、ひたすら走った。ピッチの縦一面分をダッシュ、ダッシュ。国見の試合が始まれば、仲間のために水を汲み、ビデオで撮影する。試合が終われば、またダッシュ、ダッシュ、ダッシュ。
小嶺やコーチ陣は、試合の準備をしているから、渡邉のことを見ていない。それでも“国見史上最も丁寧にノートを書く”少年は、一切手を抜かず黙々と走り続けた。
そんな姿を、グラウンドの隅から見つめる男がいた。Jリーグ・京都パープルサンガのチーフスカウト、竹林京介だった。このとき渡邉は、まさか1年後に自分が京都の一員になるとは、想像もしていない。
「竹林さんから聞いた話では、『ちんたら走ろうと思えば走れる。それなのに、あいつはどれだけ走れるんだ。渡邉大剛、すげえぞ』と思って、獲得に乗り出してくれたらしいんです。あの“ネックレス事件”がなかったら、僕のプロ人生もなかったかもしれないですね(笑)」
島原商業を率いて選手権に計12回出場。国見で通算6度の選手権制覇。現在は長崎総科大附属の監督を務める小嶺のチームは、とにかく走る。渡邉の高校時代、300m、900m、1200m、1500mの距離をそれぞれ2度ずつ走る通称「マグロ」と呼ばれるメニューで、設定タイム以内に入れなければ、片道約6kmの「たぬき山」への往復が待っていた。練習試合で前半の内容が悪ければ、ハーフタイムも走る。このハードな練習が、チームの代名詞とも言えるオールコートでのマンツーマンディフェンスの土台になっているのは間違いない。