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98年1月8日「雪の決勝」の当事者が語った“伝説の真実”…帝京のエースが悩む一方、東福岡は「ワクワク感が止まらなかった」
posted2022/01/10 11:03
text by
細江克弥Katsuya Hosoe
photograph by
Kazuaki Nishiyama
悔しくて、悔しくて、試合終了後の記憶がほとんどない。
とにかく泣いた。嗚咽が止まらなかった。2時間、いや、それくらい長く感じただけで、実際のところは30分もすれば涙も乾き、呼吸を整え、平静を取り戻していたかもしれない。わからない。
きっとそんなヤツが何人もいたに違いないロッカールームで、3年間ずっと厳しかった古沼貞雄先生は何を話したのだろう。記憶にない。覚えているのは、帰りのバスが渋滞に巻き込まれたことだけだ。何だよ。いつになったら着くんだよ。マジで。雪のせいでめちゃくちゃな一日だ――。
あれから22年もの歳月が過ぎたなんて信じられないほど、時の流れは早い。
すでに現役引退を発表していた木島良輔にとって、2019年12月14日はプロ選手として過ごす最後の一日だった。いつの間にか40歳という「ウソみたいな年齢」になったが、表情や態度から伝わってくるヤンチャでシャイなキャラクターは帝京の10番を背負ったあの日と変わらない。
「渋滞を抜けて、学校か寮に帰って……。俺の中にあるその次の記憶は、キャンプですからね(笑)。横浜マリノスの一員になって初めてのキャンプ。それからずっと、必死でプロの世界にしがみついてきただけだから、あの雪の決勝について振り返る機会なんてなかったんですよ。当時の仲間と酒を呑む機会があっても、バカな思い出話しかしないでしょ? もったいないよね。うん。いい機会だから、今日、ちゃんと振り返ります」
現役最後の日に22年前の話を聞くなんて、なんだか少し申し訳ない。そう伝えると木島は「いいんですよ」と笑った。
「今になって思えば、あの雪の日は俺のプロ生活におけるスタート地点でもありますから。終わりの日に始まりの日のことを話すのも、何かの縁かなって」
窓の向こうで、大先輩の引退を惜しむ後輩たちが頭を下げる。そのたびに木島は、「またね」と手を振った。
帝京には優勝しか見えていなかった。
当時8度の全国制覇を誇った高校サッカー界屈指の名門・帝京にとって、冬の全国高校サッカー選手権は「優勝しか考えられない大会」だった。
「『俺たちは帝京だ』という意識は、やっぱりありました。プレッシャーもあった。東福岡とはインターハイ決勝でやって3-4で負けたけれど、ウチが退場者を出したこともあって『勝てない相手じゃない』と思っていたんです。俺たちがビビっていたのは、一度も勝てなかった市立船橋だけ。と思っていたら、千葉から出てきたのが八千代だったでしょ? 『イケる』という雰囲気になりましたよね」
格式高い帝京の10番であること以上に、木島にはこの大会で活躍しなければならない理由があった。キャプテンの中田浩二は鹿島アントラーズへ、長身MFの貞富信宏はベルマーレ平塚へ、その他のチームメイトの進路も次々に決まっていったのに、エースとしての自覚がちゃんとある自分だけ「未定」のまま冬を迎えた。