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「高校野球じゃあるまいし、これは魔女狩りではないか」紅白歌合戦、本番当日に審査員が突然辞退した事件《北島三郎のスキャンダルで…》
posted2021/12/31 11:09
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph by
KYODO
今年のNHK『紅白歌合戦』ではゲスト審査員に卓球の石川佳純、トライアスロンの谷真海、俳優の清原果耶・坂口健太郎・小池栄子、脚本家・演出家の三谷幸喜が選ばれた。
石川は今年の東京五輪で卓球団体の銀メダル獲得に貢献、谷は東京パラリンピックで日本選手団旗手を務め、トライアスロン女子のレースでは10位の成績を残した。清原と坂口は今年放送された朝ドラ『おかえりモネ』にそれぞれヒロインとその相手役で出演し、小池は三谷が脚本を担当する来年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に出演する。いずれも今年あるいは来年の顔といえるが、本来ならゲスト審査員の大本命だったはずの米メジャーリーグ、ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平の5年ぶりの出演はならなかった。
「SmartFLASH」(12月25日配信)の記事によれば、NHKは水面下で大谷に出演交渉を行っていたが、最終的に「いまの時期に大切なトレーニングのルーティンを崩したくない」といった理由で断られたという。記事では、それでもNHKはなおも番組冒頭だけでも出演をお願いしたいと返答を待っていると、あるNHK局員が内部事情を明かしている。過去には、2003年の紅白の冒頭で、当時ニューヨーク・ヤンキースに在籍した松井秀喜が開会を宣言しており、おそらくNHKはそうした前例も念頭に交渉を継続しているのだろう。
スポーツ界で初めて“紅白ゲスト審査員”をしたのは?
紅白歌合戦では、まだラジオしかなかった1951年の正月放送の第1回より審査員が起用された。このとき審査にあたったのは、NHKの春日由三と音楽評論家の吉本明光のほか、男女各2名の聴取者代表である。その後、正月から大晦日の番組となり、テレビ放送も始まった1953年の第4回までは、審査員をNHKや音楽業界の関係者あるいは新聞社・通信社の文芸部長が務めた。
現在ゲスト審査員と呼ばれる、著名人やその年を象徴する人物を起用しての審査員が初めて登場したのは、1954年の第5回である。この年出演したのは、随筆家・実業家の渋沢秀雄(渋沢栄一の四男)、漫画家の横山隆一、日本舞踊家の西崎緑、バレリーナの貝谷八百子、パリ名誉市民の田村たつ子、美容家のメイ牛山という顔ぶれであった。
スポーツ界からはその翌年、1955年の第6回で横綱・千代の山が審査員を務めたのが最初である。さらに1956年には野球解説者の小西得郎(セ・リーグ最初の優勝チーム・松竹ロビンスの元監督)が選ばれ、続く1957年には国鉄スワローズ(現・ヤクルト)のエースだった金田正一が、大関・若乃花(初代、翌年に横綱に昇進)らとともに審査員を務めた。以来、2大国民的スポーツである大相撲の力士とプロ野球の選手・監督の出演はほぼ恒例となる。
オリンピック選手は“紅白に出演できなかった”
大相撲と野球以外にも、今年の石川佳純のようにオリンピックで活躍した選手たちも審査員の常連である。しかし、意外にもオリンピック選手はある時期までほぼ紅白に出演していない。