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「高校野球じゃあるまいし、これは魔女狩りではないか」紅白歌合戦、本番当日に審査員が突然辞退した事件《北島三郎のスキャンダルで…》 

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近藤正高

近藤正高Masataka Kondo

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photograph byKYODO

posted2021/12/31 11:09

「高校野球じゃあるまいし、これは魔女狩りではないか」紅白歌合戦、本番当日に審査員が突然辞退した事件《北島三郎のスキャンダルで…》<Number Web> photograph by KYODO

写真は昨年のNHK紅白歌合戦のリハーサル。司会を務めた二階堂ふみ、内村光良、大泉洋

 前回の東京オリンピックが開催された1964年の紅白には、大会ゆかりの人物として聖火最終走者・坂井義則の母親が審査員に選ばれたものの、選手たちの出演はなかった。

 オリンピック出場経験者(オリンピアン)が初めて紅白の審査員を務めたのは、1967年の第18回に出演したフィギュアスケートの福原美和が最初である。福原は1960年のスコーバレー、1964年のインスブルックと冬季五輪に出場し、この年、プロに転向している。

 メダルを獲得したオリンピアンでは、バレーボールの生沼スミエ('68メキシコと'72ミュンヘンで銀)が1973年と1982年の2度審査員を務めたほか、1976年には体操の小野清子('64東京で銅)、1984年にはバレーボールの江上由美(現姓・丸山、'84ロサンゼルスで銅)とサッカーの釜本邦茂('68メキシコで銅)が出演している。このうち江上はその年に開催された五輪のメダリストが紅白で審査員を務めた第1号となった。ただし、いずれも五輪での成績は2位以下である。金メダリストが審査員を務めたケースは、オリンピックよりパラリンピックが先で、1980年のオランダ・アーヘンでのパラリンピックの陸上・スラロームで優勝した角田好雄が同年の紅白に出演している。

「クイズ番組で女優と共演するのはアマ規定違反」

 1984年までの紅白で審査員を務めたオリンピアンには、ある共通点がある。それは、全員が出演時にはアマチュアスポーツ選手としては現役を引退していたことだ(江上由美はこのあと復帰し、1988年のソウル五輪に出場しているが)。逆にいえば、現役のままでは出演するのは難しかったということだろう。そこにはおそらく、かつてスポーツ界に存在したアマチュア規定の影響があったと考えられる。

 アマチュア規定とは、日本体育協会(体協、現・日本スポーツ協会)が各競技団体に向けて設けた競技者資格規定である。そこでは、競技者がスポーツをすることで金品を受け取ることはもちろん、1970年の改定までは、スポーツ上の名声を利用して放送などに出演することも禁止されていた。

 1969年には、ある競技の有名選手が民放テレビのクイズ形式のゲーム番組で女優らと競い合い、1位になっても賞品を受け取らなかったにもかかわらず、体協から「たとえ賞品を受け取らなくても、クイズ番組で女優などと共演するのはアマ規定違反」と断定され、その選手の属する競技団体が警告を受けるという事態も起きている(『朝日新聞』1969年6月28日付朝刊)。この出来事が一つの契機となり、1970年のアマチュア規定の改定では、競技者がテレビ出演する場合は事前に各競技団体に届け出ると変更されたものの、競技者にふさわしくないと判断されるものは従来どおり禁止された。

【次ページ】 有森、古賀、中田、伊藤から“解禁”された

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