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井上康生の変革に「すっごい迷いはありました」…メダリスト海老沼匡が衝撃を受けた“稽古量世界一”からの転換
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byTomosuke Imai
posted2021/12/27 11:05
リオ五輪の銅メダリストで現在はパーク24のヘッドコーチを務める海老沼匡。「勝つためにはとにかく稽古」と考えていた海老沼に、井上が与えた衝撃とは
海老沼 当時は練習方法を変えるという発想がありませんでした。やっぱり、とにかく稽古するしかないのかな、と。それだけに最初は井上先生のやり方は「えっ、これでいいの?」と思いました。体的には楽になりましたけど、そのぶん、僕みたいに不安に思っていた選手はたくさんいたと思います。
井上監督時代、海老沼が感じ始めた“手応え”
――それだけ大きく刷新できるところは康生さんのリーダーとしての思い切り、センスを感じさせますよね。
海老沼 井上先生になってから、ウエイトトレーニングもすごく多くなったんです。それまでは「柔道の力は柔道でつける」という考えが主流で、僕もウエイトの時間は休めるくらいに思っていて。でも、今考えると、ウエイトの器具の使い方とか、まったくわかっていなかった。本格的にウエイトをやることによって、基礎体力が上がって、外国人選手にも力負けしなくなりましたね。これまで柔道の練習というと柔道だけという感じだったのですが、そこも井上先生が全部、変えてくれました。
――最初は戸惑っていたとのことですが、どこかで手応えを感じ始めたわけですか。
海老沼 試合内容が目に見えて変わってきたんです。ちゃんと勝ち切れるようになってきた。そこで「あっ、意味あるんだ」と。僕の場合、寝技がほとんどできなかったので、試合でも、取りこぼすようなことがよくあったんです。乱取り(稽古)主体のときは、どうしても投げたくなっていたので。でも部分練習を取り入れて、寝技に対応できるようになった。指導を取る方法とか、逆に取られない方法もアドバイスしていただきました。隙がなくなって、相手に恐怖心を与えられるようにもなったと思います。
「日本の柔道が置いてかれてはいけない」
――日本の柔道の考えだと、それは正々堂々じゃない、みたいな捉え方をしていた部分ですよね。
海老沼 そこの考え方も井上先生は全部、取り払ってくれましたね。やっぱり、世界の柔道が変わっていく中で、日本の柔道が置いてかれてはいけないというのがあったと思います。そこは変えた、というよりも、順応したという意味に近いかと思います。東京五輪では、日本チームはゴールデンスコア(延長戦)になったら指導はほとんどとられないという傾向もつかんでいた。なので、73キロ級で金メダルを獲得した大野将平選手も「最後まで焦らずに落ち着いて試合ができた」と話していました。情報というところでも選手はすごい助けてもらいました。