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井上康生の変革に「すっごい迷いはありました」…メダリスト海老沼匡が衝撃を受けた“稽古量世界一”からの転換
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byTomosuke Imai
posted2021/12/27 11:05
リオ五輪の銅メダリストで現在はパーク24のヘッドコーチを務める海老沼匡。「勝つためにはとにかく稽古」と考えていた海老沼に、井上が与えた衝撃とは
――そういったデータを積極的に利用する一方で、気持ちの面もとても大事にしていたんですよね。リオ五輪の前は「俺が金メダル取るって豪語しろ」と言ったとか。
海老沼 はい、覚えています。「信じ切れ」という話はよくしていました。だから僕もマスコミに対しても「金メダルを取ります」としか言っていなかったと思います。
代表内定会見で「泣くだろうなって思っていたので(笑)」
――井上監督は、練習方法の革新的な部分と、情の面で語られることが多かったと思うのですが、情の部分で言うと、東京五輪の代表内定会見の時、選ばれなかった選手の名前を口にしながら、声を詰まらせるシーンがありました。
海老沼 それぐらい真摯に向き合ってくれていたので。ほんと、辛かったんだと思います。ただ、僕ら的には、驚きはありませんでした。正直、泣くだろうなって思っていたので(笑)。
――「泣き虫先生」というか、そういう方なんですね。
海老沼 そうですね。井上先生は選ばれた選手はもちろんですけど、代表落ちした選手にも電話をくれるんです。監督として言いにくいところだと思うんですけど、そういうところもきちんとケアをしてくれる。僕も(東京五輪で代表落ちした時は)特別な言葉はなかったですけど、「これからも一緒にがんばっていこうな」という風に声をかけてもらいました。
指導者・海老沼が感じる井上のスゴみ「いつ寝てたのかなと」
――康生さんの監督としての熱量というのは、どこから湧き出ていたのでしょう。
海老沼 やっぱり日本チームを勝たせたかったのだと思います。リオ五輪の時、(柔道二日目の66キロ級で)僕も金メダルが取れなくて。次の日、73キロ級で大野選手が初めて金メダルを取ったときは僕も自然と泣いていました。個人というより、日本柔道として戦っているという感覚でした。そういう一体感が生まれたのも、監督とコーチのお陰だと思います。
――海老沼さんは現代表の軽量級のコーチも担当されています。これだけ結果が出ると、次が大変ですね。
海老沼 この前、グランドスラムのパリ大会に行ってきまして。僕は60キロ級と、66キロ級が担当なんですけど、試合前に対戦相手の試合動画を見て、特徴などを全部書き出したんです。そうしたら、他のスタッフに「井上先生はこれを全階級やってたんだぞ」と言われて。何時間かかるんだろう、と。いつ寝てたのかなと思いましたね。(つづく)
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