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井上康生の変革に「すっごい迷いはありました」…メダリスト海老沼匡が衝撃を受けた“稽古量世界一”からの転換
posted2021/12/27 11:05
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Tomosuke Imai
第2回は銅メダルを獲得したリオ五輪で井上監督のもとで戦い、今年4月に現役を引退した海老沼匡(パーク24ヘッドコーチ)の証言。「勝つためにはとにかく稽古」と考えていた海老沼に、井上が与えた衝撃とは。(全8回の#2/#1へ)
井上監督の“最初の印象”「いちばん驚いた」
――海老沼さんは、井上康生さんが篠原体制のコーチだった頃からの付き合いになりますが、監督になってからの康生さんはここが変わったな、というところはありましたか。
海老沼匡(以下、海老沼) いちばん驚いたのは、井上先生が監督になられて最初の国際大会のあとだったと思うのですが、1対1で話す時間を設けてくれて、「どうだった?」という風に話を始められたんです。ただ、僕も感じていたことはあったんですけど、言葉にする準備をしていなかったので、うまくしゃべれませんでした。というのも、それまでの日本柔道界は指導者が言うことに(素直に)選手は従う、という部分があったので。井上先生は、選手の意見を聞いてくれるんだ、あ、この人すごいかもって思ったのが最初の印象でした。
――練習内容も、非常に合理的になったんですよね。
海老沼 明確な目的を持った練習が増えましたね。それまでは「乱取り」という実践稽古をどれだけやったかが試合に出る、という考え方が支配的でした。でも井上先生は乱取りの本数を少なくしても、立ち技から寝技に持って行く部分的な練習というか、確認作業を重点的にやったりもしたので。
「最初は『これでほんとに勝てるのかな』と」
――これまで脈々と受け継がれてきた日本のスタイルを変えるというのは、どういう方向性であれ、人間の本能として拒絶反応のようなものもあるかと思うのですが。
海老沼 最初は「これでほんとに勝てるのかな」というのはありましたね。「もっと乱取りしたいな」とか。やっぱり、そういう風な環境でずっとやってきたので。すっごい迷いはありました。
――篠原前監督の時代は、練習量に関しては、これ以上できないというくらいやったんですよね。
海老沼 めちゃくちゃやりましたね。稽古量でいえば、たぶん世界一だったと思います。僕も当時は、そのやり方が正しいと思っていました。
――それだけやっても2012年のロンドン五輪では「金メダルなし」という結果に終わりました。4年後のリオ五輪に向け、日本柔道を立て直すために、海老沼さんはどうすればいいと考えていたのですか。