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柔道界のレジェンド・吉田秀彦が見た“静かなる革命児・井上康生”「最初に代表合宿を見たときは、これで勝てるのかな、と」
posted2021/12/27 11:04
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Tomosuke Imai
第1回はバルセロナ五輪の金メダリストで、シドニー五輪では当時22歳の井上とともに戦った吉田秀彦(パーク24総監督)の証言。井上監督時代の代表合宿を最初に見た時、吉田は思った。本当にこれで勝てるのか、と。(全8回の#1/#2へ)
「僕らの時代は、いかに早く辞めるかばかり考えていた」
――井上康生さんは、ロンドン五輪が終わった2012年の冬、34歳という若さで代表監督に就任しました。吉田さんは率直なところ、どのように思われましたか。
吉田秀彦(以下、吉田) おれと康生は、歳が9つ違うんですよね。昔の全日本って練習自体がほんときつかった。どれだけ追い込むかという、努力、根性、気合いの世界だったので。前監督の篠原(信一)も、シドニー五輪で負けて銀メダルで終わったとき、「これからどうすんの?」って聞いたら、「もう練習がきつくてできないので(選手を)辞めます」と。その気持ち、すごいわかるんです。僕らの時代は、いかに早く辞めるかばかり考えていたので。でも、康生が監督になってからは、科学的な練習メニューとかを取り入れるようになって、練習自体がすごく短くなった。だから、最初に康生の代表合宿を見たときは、これで勝てるのかな、と。正直、リオ五輪(2016年)、東京五輪(2021年)と、続けてこんなに結果が出るとは思っていなかった。
――練習内容を見た時は、物足りないな、と。
吉田 ぜんぜん物足りなくて。
「柔道は、柔道で強くならなきゃいけないと」
――日本柔道界は、過去の実績ゆえなのでしょうが、「変える」ことにものすごく消極的な組織というイメージがあります。
吉田 そこは康生に聞いてみたいんですよ。よく変えられたな、と。やっぱり人って、自分がやってきたことを押し付けちゃいますから。基本的に僕らの時代は、柔道というのは、柔道で強くならなきゃいけないという考え方だったんです。いくらベンチプレスで重いものを持ち上げられても、柔道力(じゅうどうぢから)はつかない、と。だから僕も稽古の時はあえて重量級の強いやつとやっていた。でも今はトレーニングはトレーニングでしっかりやるようになりましたからね。