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元JOC理事・山口香が語る“井上康生が改革できた理由”「酔っちゃうのよ、自分に」「『えーっ』みたいなエピソードもたくさん」
posted2021/12/28 11:03
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
AFLO
東京五輪で柔道全日本男子チームを率いた井上康生前監督。柔道男子史上最多となる5個の金メダルをもたらした男は何者だったのか――。井上を近くで見てきた人々と本人の言葉から、その“実像”を明かしていく短期連載「静かなる革命児」。
第4回は、ソウル五輪女子柔道の銅メダリストで、井上が出場したシドニー、アテネ五輪を女子強化コーチとして帯同した山口香(筑波大学体育系教授/元JOC理事)の証言。山口は井上をこう表現する。「抜けてるところ」と「勝負師の才覚」が共存した男――。(全8回の#4/#1、#2、#3へ)
第4回は、ソウル五輪女子柔道の銅メダリストで、井上が出場したシドニー、アテネ五輪を女子強化コーチとして帯同した山口香(筑波大学体育系教授/元JOC理事)の証言。山口は井上をこう表現する。「抜けてるところ」と「勝負師の才覚」が共存した男――。(全8回の#4/#1、#2、#3へ)
「これまでの柔道界のリーダー像は、一国一城の主」
――選手時代の康生さんは、どちらかというと愚直なイメージが強くて、34歳という若さで代表監督になった時は、正直、どうなんだろう、と思いました。山口さんも当時は、「時期尚早なのでは」とおっしゃっていましたよね。
山口香(以下、山口) 当時、東海大の副監督になったばかりで、監督経験はないに等しかったですから。ただ、これは結果論かもしれませんけど、自分の中に「監督とはこうだ」というものがないぶん、トレーニングの分野は岡田(隆)さんに任せようとか、誰かを頼ることができたのかなと思います。これまでの柔道界のリーダー像というのは、一国一城の主でしたから。ストロングタイプが求められていた。黙ってついてこい、と。何かやるときも、ただ一言、「やれ」だけ。でも康生君の場合は、「こういうのやってみようと思うんだけどどう思う?」というスタンスでしたよね。
――海老沼(匡)さんが、康生さんが監督になっていちばん驚いたのは、最初の国際試合の後、「どうだった?」と聞かれたことだと話していて。聞いている方としては、海老沼さんがそのことに驚いていることに驚いてしまいました。柔道界は、つい最近まで、そんなに前近代的な世界だったのか、と。
山口 監督なんて、だいたいしゃべんないもんね。「いけ」「やれ」ぐらい。
「改革を支えていたのは、柔道界の低迷だった」
――吉田秀彦さんも指導者には「やれ」としか言われなかったと話していました。
山口 そうそう。そういう世界だったんですよ。