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柔道界のレジェンド・吉田秀彦が見た“静かなる革命児・井上康生”「最初に代表合宿を見たときは、これで勝てるのかな、と」
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byTomosuke Imai
posted2021/12/27 11:04
バルセロナ五輪の金メダリストで、現パーク24の総監督を務める吉田秀彦氏。井上監督時代の代表合宿を見て吉田は思った。本当にこれで勝てるのか、と――
――康生さんは、すごく柔軟で、先進的なイメージがあります。
吉田 (井上が柔道部男子副監督の)東海大でも、ウォーミングアップのとき、音楽をかけたりしていましたから。昔の柔道場では、考えられない。全日本でも、そういう風にどんどん新しいことを取り入れていったんでしょうね。
「康生みたいな接し方はできないだろうな」
――柔道には、「柔道」と「JUDO」の2種類があるという言い方をします。そこへ行くと、康生さんは「JUDO」における戦い方をものすごく研究していました。各審判員の癖を把握し、有効(2017年に廃止)で逃げ切る勝ち方を伝授したりもしていました。でも、今までの日本の柔道は、そういうことをするのは日本の柔道じゃないというこだわりがあったように思います。
吉田 ありましたね。僕らは投げなきゃいけないと習っていたし、審判は敵だと思っていた。それこそ、シドニー五輪の決勝で篠原の内股すかしが一本として認められなくて、余計に誰が見ても一本を取ってもらえるような投げ方をしなきゃいけないと思ってしまった。昔は、旗判定がありましたけど、旗判定になったらもう負けだと思っていたんです。そういうプレッシャーもありました。でも有効や効果が廃止され、日本が目指していた柔道に、世界の方から近づいてきてくれた面もある。そういう意味では戦いやすくなった。(東京五輪の)柔道初日に男子60キロ級の髙藤(直寿)が優勝したときなんかは、まさに康生が目指した新しい日本の柔道を感じました。
――決勝は反則勝ちでしたが、試合後、髙藤選手は清々しい表情で「豪快に勝つことはできなかったが、これが僕の柔道だ」と話していました。
吉田 オリンピックって、勝たなきゃ意味がないんですよね。髙藤は「泥臭く」と話していましたが、泥臭くても勝ったら100点満点ですから。
――康生さんは、選手とすごくまめにコミュニケーションを取っていたそうですね。
吉田 昔の指導者は「やれ」しか言わなかった。できないと「根性ねえな」って。どちらかというと、僕もそっちのタイプ。少なくとも康生みたいな接し方はできないだろうな。
――東京五輪の代表内定会見のとき、康生さんが選考落ちした選手のことを思い、声を詰まらせていたシーンも印象的でした。