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部員数1ケタの時代も…履正社高校をゼロから「甲子園優勝校」に育て上げた35年、岡田龍生監督「離れることに未練はない」

posted2021/12/20 11:01

 
部員数1ケタの時代も…履正社高校をゼロから「甲子園優勝校」に育て上げた35年、岡田龍生監督「離れることに未練はない」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

この春での退任が決まっている大阪・履正社高の岡田龍生監督。35年、府大会で初戦敗退が常だったチームを甲子園で優勝する強豪校に育て上げた(写真は2019年夏)

text by

沢井史

沢井史Fumi Sawai

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Hideki Sugiyama

 今年は東海大相模、浦和学院、星稜と高校野球の強豪校の監督交代の発表が相次いだ。

 2019年夏の甲子園で初優勝を飾った大阪・履正社の岡田龍生監督も、来年3月で退任し、4月から母校である兵庫・東洋大姫路で指揮を執ることが明らかになったのはこの秋のことだ。11月4日午前に東洋大姫路で藤田明彦監督らの記者会見が行われ、同日午後には履正社グラウンドで岡田監督の会見も行われた。

 すっきりした表情で今後への思いを語った岡田監督だが、実は今回の決意に至るまでには様々な葛藤があった。

「履正社への進学を決めている中学生もいましたし、今後の体制のこともありましたしね。お話をいただいて、じゃあやります、という訳ではなかったですよ。そりゃあ、色々と考えることは多かったです」

 ただ、実は既に周囲に伝えていたことがあった。

「僕自身がどうなるかは別として、早く世代交代はした方がいいとは考えていました。ですので、学校側には夏の甲子園で優勝する前から(監督)交代の意向は伝えていたんです。監督って経験してナンボですから、次の監督にもう経験させてあげないと。そういう話は身内にも話していました。

 でも、総監督になることは考えませんでした。前に監督していた人がチームに残ると(新監督は)気を遣うでしょう。僕は何もないところから、誰もいない状況から監督を始めましたが、その時と今とはずいぶん状況は違う。学校に教員として残っても、野球部に携わるつもりはなかったんです」

母は元プロ野球選手、中学時代はバレーボール部にも

 高校は東洋大姫路だが、岡田監督は生粋の大阪育ちだ。元女子プロ野球選手の母の手ほどきで野球を始め、小学校6年生の時に軟式野球の全国大会に出場した経歴を持つ。だが、中学時代はバレーボール部にも所属していたことは有名な話だ。

「僕の通っていた中学校はバレーボールが強かったんです。でも、野球部は週に3度しか活動していなくて、バレー部には野球をやっていた選手も多かった。担任の先生から“野球とバレーボールを兼部してみたら”と勧められたんです。通常ならあり得ないと思うんですけれど、月水金は野球をやって、火木土はバレーボールをやっていました」

 ただ、2つの競技を並行してプレーすることは容易ではない。特にバレーボールは高身長が求められるが、小柄だった岡田監督は次第に自身のポジションが限られることに気づいた。1年生の冬から両立を続けたものの、3年生になると大阪市で3位以内に入るほどレベルの高いバレーボールから、徐々に野球にウエイトを置くようになった。

【次ページ】 東洋大姫路では主将、甲子園ベスト4を経験

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