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恩師は「20歳・奥川恭伸」をどう見た? 星稜高時代と共通する“翌年の成長”と山本由伸からもらった“宿題”とは
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph byKiichi Matsumoto
posted2021/12/06 11:04
奥川恭伸の恩師である林監督は、日本シリーズでの登板を振り返り「この1年間でここまで来るとは思わなかった」とその成長に驚いた
この1年間で、という言葉で表すなら、奥川は高校時代も苦い経験をすべて肥やしにしてきた。
星稜高1年の秋。県大会決勝で先発し、5回2/3を投げ11安打8失点。北信越大会の決勝でも同じく先発し5回を投げ10安打8失点。いずれも日本航空石川打線に打ち込まれた。
だが、その1年後の秋季北信越大会では、準々決勝の松本第一(長野)戦で10者連続を含む13奪三振で5回無失点。啓新(福井)との決勝戦では、延長15回、183球を投げ17奪三振、無四球という“怪投”もあって(2-2で引き分け。翌日の再試合で7-4で勝利)、北信越大会を制した。
「その時と流れが同じのような気がするんです。いいタイミングでそういう試練が来て、このままではダメなんだと思わされる。そして、そこからしっかり成長できる。それが彼のすごさですね」
林監督が驚かされた高1の奥川
宇ノ気中時代は3年時に全国大会で優勝。大きな期待を集め、地元の伝統校の門をくぐった。入学して間もない4月中旬の練習試合で高校野球初マウンドを踏んだが、当時、林監督の中に強い印象を与えた奥川の姿がある。
「だいたいの1年生はストライクを欲しがって自分の狙ったところに投げられず、バッターではなく自分と勝負してしまうんです。でも、奥川は初めからバッターと勝負できていました。この間まで中学生だったピッチャーが、高校2年生、3年生のバッターを相手にですよ。そういった自己コントロールが最初からできていることに驚きました」
奥川と言えば質の高い速いストレートが代名詞だが、単に速いだけではダメだということを当時から理解し、どん欲にその次を求めていたという。
「自己分析ができていない子は、こちらから尋ねてもだいたいは“分からない”と答えます。でも奥川は“ここはこうだから、こうしたい”とピンポイントで回答できる。普段、口数は多い方ではないですが、そういう答えは出来る子でした。
それでいて自分の立ち位置をしっかり分かっていて、図に乗らない。どんな時でもどんな状況でも取り乱さない。そして人を惹きつける魅力がありますね。人となりは、みなさんが見られた通りのそのまんまの子です。寡黙なところや穏やかなところもある。テレビに映っている奥川恭伸の姿は今も高校時代と変わっていません。ただ、野球談議をするときや試合に入っていくときはスイッチが入るんです。スイッチが入るとこちらから声も掛けられない雰囲気になります」