プロ野球PRESSBACK NUMBER
《松井秀喜も支援》アフリカの子供が「野球は民主的だから好き」… 慶大OBの57歳が尽力する「日本式Yakyu」普及
posted2021/12/06 17:00
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph by
Kazuyoshi Matsunaga
「私の原点も、ふるさとの原っぱで、兄や友だちと興じた野球です。同じ夢を持つ子どもたちがアフリカにもいると思うと、アフリカを急に身近に感じられるようになりました」
11月30日、松井秀喜氏がビデオレターにてコメントを寄せた記者会見が都内で行われた。
一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構による「アフリカ55甲子園プロジェクト」。
アフリカ各国・地域で野球の国内大会、地域別国際大会等の開催支援をやって行こう、そしてそれを通じた青少年少女育成を目指そう――。
このプロジェクトへの賛同を求める会見だった。
松井氏は「エグゼクティブ・ドリームパートナー」として当座はアフリカの子どもたちに向けたメッセージ発信を行っていく。
その松井氏をニューヨークに訪ね、3時間の面談の上、“パートナー”として招き入れたのが、この一般財団法人の代表理事・友成晋也だ。すでにアフリカで25年もの間、野球普及活動の時を過ごしてきた。
「野球をやってみませんか」と学校に売り込み
その活動のスタートは1996年にまで遡る。
大学卒業後、就職したJICA(独立行政法人国際協力機構)の職員としての最初の赴任国がガーナだった。西アフリカに位置し、国土面積は日本の3分の2。そこに約3000万人が暮らす(2019年基準)。かつてのイギリスの植民地で公用語は英語ほか各民族語。日本の外務省のデータによると国民の宗教はキリスト教約70%、イスラム教17%その他伝統的宗教等となっている。
自身は慶應義塾大学体育会野球部の出身だ。同級生に社会人を経て西武から指名された鈴木哲、2学年下に巨人のドラフト1位・大森剛がいた。自身は慶應の系列高から進学して「体育会では通じないだろうな」と入部を迷ったが、「120人の大所帯にあってまったくベンチ入り出来なかった」という立場ながらにプレーを続けた。
赴任後、現地ガーナ球界との縁はすぐに生まれた。「野球を知る国から来た」としてすぐにナショナルチームのコーチを任されたのだ。「やるんだったらシドニー五輪を目指そう」と、“大学野球式”の厳しい練習で集中強化。選手はスポンジが水を吸い取るが如く成長し、アフリカ大陸予選(オールアフリカ競技大会として盛大に行われる)でベスト4入り。本大会出場は逃したが「アフリカ大陸で4強になれるスポーツ」として、ガーナのテレビ局で大きく取り上げられるなど話題となった。
ただ、強化と同じく友成の記憶に強く残るのは普及の現場での話だ。代表チームの成果もあり、「ガーナの学校で野球を教えてみよう」という話が進んでいったのだった。
野球をちゃんと見たことがない子どもたちの中で
なにせ現地では子どもの数が多く、学校や先生の数が追いついていないところもあった。子どもたちを午前・午後の部に分けて教えるような実情のなか、体育や音楽の授業は後回しになることも。別の科目の先生が体育兼任となり、教えているところもあった。友成はそこに野球を当てはめてみる提案をしたのだ。
実際に学校を訪れてみると、予想通り子どもたちは野球をちゃんと見たことがないし、メジャーリーグのことも知らない。
ガーナでは、アフリカの他国と同じく、一番盛んなスポーツはサッカーだった。また代表チームは友成が赴任した96年の時点ですでにアフリカネーションズカップで4度の優勝を誇っていた。