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「トルシエ、ジーコはほぼ同様。でもオシムは…」三都主アレサンドロが語る《あの頃と今の日本代表/サイドバック論》 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byHiroaki Sawada/Koji Asakura

posted2021/11/24 17:02

「トルシエ、ジーコはほぼ同様。でもオシムは…」三都主アレサンドロが語る《あの頃と今の日本代表/サイドバック論》<Number Web> photograph by Hiroaki Sawada/Koji Asakura

ブラジルでの直撃取材に応じてくれた三都主アレサンドロ。当時と今の日本代表について大いに語ってくれた

「そうだね。僕たちブラジル人留学生は、皆、日本でプロになることを目指して必死だった。でも、日本人のチームメイトの多くはプロになることは目指しておらず、『楽しくプレーできたらそれでいい』と考える者が多かった。ただ、フットボールはチームスポーツなので、選手全員が頑張らないと勝てない。チームが弱ければ、僕たちがプロになる夢も遠のく。『みんな、もっと一生懸命に取り組んでくれよ』と言ったんだけど、聞いてくれない人もいて、言い争いになったりした」

――それは、ブラジルのプロクラブのアカデミーではありえないことですね。その問題をどうやって解決したのですか?

「いくら言っても応えてくれない人もいたので、『それなら自分が2人分、3人分のプレーをするしかない』と考えた。結果的に、それが僕のモチベーションを高めた部分もある」

トルシエ、ジーコ、オシムから学んだことは

――高校卒業後の1997年、清水エスパルスに入団。「プロになる」という子供の頃からの夢を叶えた。そして、1999年、史上最年少の22歳でJリーグMVPに選ばれ、2001年、日本国籍を取得して日本代表にも招集された。日本代表では、フィリップ・トルシエ、ジーコ、イビチャ・オシムという3人の外国人監督の指導を受けた。左SBとしてプレーするにあたって、彼らからどのような指示を受けたのですか?

「トルシエからは、『守備面では、チームとして、組織としての約束事を守ってくれ。でも、攻撃面では自由にプレーしていい』と言われた。ジーコも、ほぼ同様だった。

 でも、オシムは違っていた。守備は基本的にマンマークで、自分がマークする選手にどこまでも付いていく。攻撃になったら、マークしていた相手を捨てて人数をかけて攻める。それでボールを取られたら、自分から一番近い相手をマークする。頭を使ったが、プレーしていて楽しかった」

――日本代表で一番印象に残る試合は?

「2002年W杯ラウンド16のトルコ戦。FWとして先発で起用され、左サイドを思いっきり走った。絶好調だった。序盤に先制されたけれど、前半の終了間際、ゴール前の左側でFKのチャンス。『自分が蹴ったら、絶対に入る』と思ったので、中田ヒデ(英寿)と小野(伸二)に頼み込んで、蹴らせてもらった。

 狙い通りのキックができて、『入った!』と思ったのに、クロスバーに嫌われた。前半が終わり、『自分の出来は、悪くなかった。後半はもっといいプレーができる』と思っていたのに、前半だけで交代させられてしまった。

 本当に残念だった。自分のキャリアで、一番悔しい思いをした試合だった」

ブラジル戦、玉田のゴールの瞬間「勝てると」

――2006年大会はレギュラーとしてプレーし、グループステージ(GS)最後のブラジル戦の前半34分、玉田圭司の先制ゴールをアシストしました。

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